小泉純一郎の若き日々から現在までを知ることができる一冊・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1104)】
散策中に、オカメインコを見かけました。アカボシゴマダラを見つけましたが、春型なので後翅に赤い紋がありません。エゴノキが白い花を下向きに付けています。コクテール(カクテル)という品種の赤いバラが咲いています。因みに、本日の歩数は10,600でした。
閑話休題、小泉純一郎ファンにとって、『決断のとき――トモダチ作戦と涙の基金』(小泉純一郎著、常井健一取材・構成、集英社新書)は見逃せない一冊です。小泉の若き日々から現在までを知ることができるからです。
取材・構成の常井健一は、小泉を構成している要素を、このように抽出しています。●(祖父)「いれずみ大臣」から引き継いだ義侠心。●雄弁家の父を見ながら身につけた大衆的な言語感覚。●福田赳夫を源流とする財政均衡主義者のコスト意識。●石油危機から学んだ「ピンチはチャンス」という方程式。●反田中(角栄)傍流の七転び八起き人生で培われた反骨心。●派閥抗争の荒野で見いだした「改革」という名の正義。●望まぬ雑巾がけポストで養った敵をも巻き込む融通性。●四面楚歌の郵政選挙を勝ち抜いた勝負勘。●外交舞台で発揮された冷徹なリアリズム。●失政が産んだ「被害者」と呼ばれる人々へのまなざし。●多彩な趣味を通じて育んだ知性と教養。●経済学者・加藤寛から受け継いだ遺志。●連戦連敗の反省からたどり着いた環境重視の精神。
原発について。「それから細川(護熙)さんとはしばらく会っていなくて、2013年10月21日に急に会食することになりました。不思議なもので『原発ゼロ』がわれわれを引き合わせたのです。私はその前の8月にフィンランドで建設中の核廃棄物最終処分施設『オンカロ』を視察に行きました。地下400メートルに廃棄物を埋めて毒性が抜けるのは10万年後という話を現地で聞いて、火山や地震が多く、強固な岩盤がない日本で同じことはできないから、原発はつづけてはいけないと確信しました。・・・それから『小泉純一郎は原発ゼロを訴えている』と知れわたって、いろんな人から反響が寄せられました。そのひとりが、細川さんだったのです。・・・細川さんも私も『やっぱり原発ゼロにしなきゃいかん』ということで一致しました」。
「『オランドは(フランス)大統領選で2050年までに脱原発をやると掲げたんだよ。日本以上の原発大国でさえ、脱原発を打ち出して国民に受け入れられたんだ。あの考え方は若い新大統領(マクロン)にも引き継がれている。この話、講演でもしているのに、マスコミはどこも書かないよ』」。
「『一番早いのは自民党が原発ゼロを進めることです。不可能だと思っている人もいるけども、そうじゃない。いまの総理が再稼働を進めているから仕方ないだけで、来たるべき新総理が原発ゼロを打ち出せば、自民党はガラッと変わりますよ。そのためには、これから野党がどう出るかが大事。野党が原発を選挙の争点にした場合、自民党は推進論で多数の議席を確保できるかどうかを必ず考え直します。それは、そんな遠い将来じゃない』」。
姉について。「弟の私が言うのもなんですが、姉は優しく、謙虚で、しかも、私が留守がちの小泉家をしっかりと守りつづけてくれました。私が妻と離婚したとき、孝太郎は4歳、進次郎は1歳でした。そのとき以来、姉は孝太郎、進次郎に寂しい思いをさせてはいけないと考えて、母親代わりとしてわが家の中心的な役割を果たしてくれました。母親代わりなので、孝太郎、進次郎には『ママ』と呼ばせていました。ふたりが学校に行くときはいつもママが見送ってくれる。外から帰ってくればママが優しく迎えてくれる。これは孝太郎、進次郎の精神安定にも大きく寄与していたことと思っています。私は孝太郎、進次郎に、いつか本当のことを話さなければならないと思っていました。孝太郎が高校2年生、進次郎が中学2年生になったとき、ふたりを呼んで、本当のことを伝えました。『ママは私の姉だ』と言ったら進次郎は『うそ!』と声を上げました。孝太郎に『知っているか?』と聞いたら、『知っていた』と答えた。『進次郎にそれを言わなかったのか?』と聞いたら、『言わなかった』。高校生にして、言ったほうがいいことと言わないほうがいいことをわかっていた。いい子に育ってくれたなと思いました。進次郎は、『それでも僕は本当の母親だと思っている』と言いました。だから、姉は、ただの母親代わりじゃなかった。実の母親として孝太郎、進次郎の教育、子育てをやってくれたのです。晩年になってからは、すこやかに成長した孝太郎、進次郎が社会に出て、テレビや新聞で活躍している姿を見るのを大変楽しみにしていました』」。
信条について、「私は、『省事に如かず』という考え方を大事にしています。中国の古典『菜根譚』にある『不如省事』という言葉が昔から好きなんです。いろんな余計なことを省けば、自分の時間を持つことができます。流されるんじゃない。仕事に追われるんじゃない。自分で考えて、大事なことをやる。そのためには、余計な仕事を省くのが一番です。福田赳夫先生は『大事争うべし、些事構うべからず』と好んで色紙に書いていました。私が福田先生の家で玄関番をしていた頃、書斎でよく目にしたおぼえがあります。われわれは、大事と些事がときにわからなくなってしまいます。人によっては、些事を大事だと思ってしまうときもあれば、大事を大事だと気づかないときもある。難しいところです」。
小泉純一郎を、ますます好きになってしまいました。