鴨長明、道元、一休、芭蕉らを通して中世を考える・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1118)】
我が家のサツキが満開を迎えています。小さな桃色のバラが次々と咲き始めました。アジサイが開花の準備を進めています。散策中、群生しているジャーマンアイリスを見かけました。ベニバナヤマボウシの総苞が赤みを増してきました。総苞が白いヤマボウシの花が咲いています。タイサンボクの蕾が膨らんできました。因みに、本日の歩数は10,987でした。
閑話休題、23年前に読み、8年前に再読した『中世の文学』(唐木順三著、筑摩叢書。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)を書棚から引っ張り出してきました。
名著の誉れが高い本書では、鴨長明、兼好、世阿弥、道元、一休、芭蕉を通して中世が考察されています。
鴨長明について。「庵をめぐつて、春の藤の花、夏のほととぎす、秋のひぐらし、冬の雪。さういふ自然の調べに合して時に秋風楽、時に流泉の曲を弾じ、時に読経、時に仮睡。長命はそこで『みづから情をやしなふばかりなり』とつづけてゐるのである。世間の騒しさ、わづらはしい交際、窮屈な仕来りと秩序、嫉妬、執念を捨てて、『糸竹花月を友』とするひとりの栄華へこもつてゐる。欲望を極微にした上での栄華、有を無に極限まで近づけた上での贅沢、さういふところに長明にゐる。方丈の栄華である。・・・方丈は彼のダンディズムであつた。さういふところに長明はゐる。それが彼の歴史的位置である」。
道元について。「道元の母は九条基房(松殿)の女(むすめ)である。基房には四人の女があつたが、そのうちの一人が京都に入つた木曽義仲に嫁した。義仲の後立によつて基房の子師家が内大臣・摂政にすすんだといふ。義仲との死別の後、この女は久我通親に嫁して道元を生んだ。道元八歳のとき、この母は死没したが、臨終に際し、仏門に帰投すべきを遺戒されたといふ。・・・『世間の無常』といふ文字の背後には、日本史上最大の変革期の示した無常、たとへば『平家物語』の示す、権勢の更替の無常、『方丈記』の示す人生の無常もあらう。更に直接には母方の九条基房師家の勢力の或ひは興り或ひは衰へたといふ事実、また生母が木曽の冠者に美貌をみこまれて十六歳にしてこれに嫁し、義仲のはかなき没落によつて再び通親に嫁したといふやうないきさつもあらう。貴族政治から武家政治へと、大きくゆれながら移つてゆく過渡期の過渡性を、内大臣を父とし摂政の女を母とする貴族の側から味ひながら、過渡といふ無常の底を究めようとしたわけである」。
一休について。「すべての存在は、存在の根拠、虚空からみれば価値の差別はない。万象平等、万人平等である。『いづれの人か骸骨にあらざるべし。それを五色の皮につゝみもてあつかふほどこそ、男女の色もあれ、いきたえ、身破れぬれば、その色もなし。上下のすがたもわかず。ただいまかしづきもてあそぶ皮の下に、この骸骨をつつみて、うちたつとおもひて、この念をよくよくこうしんすべし。貴きも賎きも、老いたるも、若きも、更にかはりなし』。万人の平等を、いづれの人か骸骨にあらざるといふが如き言葉を以て示したのは、恐らく一休の特徴であり、かねて室町といふ時代の特色であるといへよう。・・・万人はまちがひなくやがて骸骨になる。骸骨の上にただ浮世の皮をかぶつてゐるのみといふ認識はやがて人間の赤裸な姿の誕生である。人間が一様に死にゆく存在として規定され、浮世の所作がいとほしいものになつてくる。はかなく切ないものになつてくる。一休の類型的にみえる道歌の裏には、萌え出ようとする個のうめきがあつた。・・・門松はめいどのたびの一里づか 馬かごもなくとまりやもなし」。
芭蕉について。「芭蕉は風に破れやすき芭蕉を好み、風に破れるうすものを好んで自らを風羅坊と名乗つた。その一筋の生き方を、和歌の西行、連歌の宗祇、絵の雪舟、茶の利休の伝統の上においた。・・・『卯辰紀行』は、『身は風葉の行衛なき心地して』と前書きした『旅人と我名よばれん初しぐれ、又山茶花を宿々にして』と続くのである。中世詩人の隠遁と旅は禅と深くつながつてゐる。ともに日常世界の繋縛からの解放である。自己固定を厭ふ心である」。
何度読み返しても、味わい深い一冊です。