弁解せず、使命感を持って生命を燃焼させる男たちを描き続けた城山三郎・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1362)】
私が過日、撮影した野鳥がメジロかマヒワかで意見が分かれていたが、本日、結論が出ました。千葉・我孫子の「鳥の博物館」の齊藤安行氏からメジロと判定されたからです。「鳥の博物館」が質問に丁寧に答えてくれることを知り、感謝の気持ちとともに、嬉しくなりました。ハクセキレイをカメラに収めました。レモンが黄色い実を付けています。アオキの赤い実が輝いています。因みに、本日の歩数は10,225でした。
閑話休題、『城山三郎の遺志』(佐高信編、岩波書店)によって、城山三郎の生き方、そして、仲間から城山がどう見られていたかを知ることができました。
編者の佐高信は、こう述べています。「城山さんを語る時、勲章拒否と現憲法擁護の二点だけははずしてほしくないと思います。城山さんは『戦争で得たものは(現)憲法だけだ』と口癖のように言っていました。まさに城山さんの遺言というべきでしょう」。
「城山さんは本当に衒いのない人だった。だから太宰治を嫌い、『二十歳のエチュード』の原口統三に惹かれた。・・・城山さんの終生の問いが浮かび上がる。それは自分を引きまわした大義とは何かであり、その旗を掲げる国家(組織)とは何かであり、そして、歴史とは何かである。・・・文壇づきあいをすることもなく、こつこつと書くべきものを書いてきた城山さんが、唯一と言っていいほど傾倒した作家が大岡昇平だった」。
城山と関係のあった5人の城山評が収録されているが、とりわけ興味深いのは、平松守彦の「らしからぬ男、計らぬ男」です。
「(城山の)『官僚たちの夏』(城山三郎著、新潮文庫)は、経済大国に向け邁進した男と彼を取り巻く官僚たちのせめぎあい、官僚と政治家との綱引きというドロドロした人間関係を描いている。・・・日本を主導する使命感に燃える官僚の姿を生き生きと書いたところに城山文学の美しさがある。今日、大蔵省、厚生省をはじめ、官僚バッシングが盛んだが、官僚の存在そのものが問われている現在でもなおかつ、純粋に国益という使命感に燃えた風越信吾=佐橋滋氏の生き方を問う意味は失われていない。・・・城山さんは雄弁家ではない。むしろ、寡黙だ。寡黙な作家は政治家、経営者、戦国武将を好んで描く。自己弁護せず、自分に課せられた運命に立ち向かい、生命を燃焼する。城山さんはそんな『人生を生き抜いた男』にこだわる。私には城山さん自身の生き方にもダブってみえる。城山さんは、よく人の話を聞く。というより、よく聞き出していた、という方が正確かも知れない。・・・城山さんの質問は短く、鋭い」。
「『落日燃油』は寡黙な官僚である広田弘毅を題材にしている。東京裁判で戦争責任を問われた元首相・元外相広田弘毅。彼はただ一人文官で戦犯死刑囚となり、沈黙のうちに刑死した。外交官として清国、イギリス、アメリカ、ソ連などの勤務を経て、昭和8(1933)年に外相として入閣。同11(1936)年、内閣を組織した。戦前で外交官から首相まで昇りつめた人は珍しい。しかも、裕福な家庭ではなく、貧しい石屋の子に生れながら、苦学しての外交官への道であった。広田弘毅は国家のため、国民のための道を選んだ。無欲無私の心は最後まで捨てなかった。『政治の不得意な男』『自ら計らわぬ男』が政権を担当するようになったのは、二・二六事件以後の極めて困難な時期であった。軍人ではない、『背広を着たやつ』がいい、それが広田であった。広田は事件後、粛軍を断行させ正邪のけじめをつけ、下積みの人々に目を向け庶政一新を図る。しかし、歴史は広田の意思とは逆に流れる。盧溝橋事件以後、事変が拡大。即時停戦に懸命の努力を注ぐが、軍部の暴走を止められなかった。戦後、戦犯に指名され東京裁判に臨み、弁護人から『無罪と主張するように』と求められた。しかし、『戦争について自分には責任がある。無罪とはいえぬ』と答える。同じA級戦犯に問われた軍人はいずれもかつて広田の協和外交の妨害ばかりしてきた人たちだ。その彼らと同じ罪をきせられ絞首台に上らねばならない。広田の死刑宣告は検事団にとってさえも意外であり、『なんというバカげた判決か』と首席検事でさえ慨嘆している。・・・不満を口にせず、ただ、『自然に生きて、自然に死ぬ』生き方が城山さんの心を動かした。綿密な取材と調査、資料収集により、本書は成り立つ。時代の波に流される孤舟の外交官・広田弘毅の生涯は貴重な昭和史でもある」。
「『官僚たちの夏』にみる孤高の主人公と、自己弁護せず、従容として死についた『落日燃油』の主人公には共通した『男の美学』が感じられる。城山文学の原点は、常に男の美学を描くことにあるように私には思える」。平松の見解に全面的に賛成です。私も、城山文学の最高峰は、『官僚たちの夏』と『落日燃ゆ』だと考えています。