榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

幕末の下級武士の暮らしぶりが生き生きと甦る絵日記の傑作・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1486)】

【amazon 『幕末下級武士の絵日記』 カスタマーレビュー 2019年5月15日】 情熱的読書人間のないしょ話(1486)

東京・千代田の東京国際フォーラム、日比谷公園は初夏の香りに包まれています。イトラン(ユッカ)が釣り鐘状の白い花を付けています。キショウブ、大イチョウをカメラに収めました。因みに、本日の歩数は13,634でした。

閑話休題、『幕末下級武士の絵日記――その暮らしの風景を読む(新訂』(大岡敏昭著、水曜社)は、幕末に、江戸から北に15里ほどの忍(おし)藩10万石の城下町で暮らす尾崎石城(せきじょう)という下級武士が書き記した「石城日記(全7巻)」に基づいています。

「石城日記は絵日記である。そこには、石城の自宅、友人宅、そして寺と料亭などのさまざまな人びとの暮らしの風景が、具体的な記述と挿絵で丹念に書き描かれている。それはおそらく、長編の絵日記としては現在のところ発見されている中では唯一のものであろう。・・・絵日記は33歳になった文久元(1861)年から翌2年までの178日間の暮らしを記したものである。その間の年末には、2か月前の過酒による不行(ふぎょう)を理由にまたもや閉戸(へいこ。戸を閉じて自宅謹慎をさせる)を命ぜられ、度重なる不当な咎めに彼の無念さがところどころに出てくる。しかしながらそのことにも屈せず、本人は至っておおらかで日々の生活を淡々と生きている。そのような石城と彼を取り巻く人びととの暮らしの様子を挿絵入りの日記として書いているのであるが、それは愉快で楽しく、また和やかである。その挿絵は画才に優れていたとはいえ、実にうまくて、思わず吹き出してしまうような場面も多いが、それは作者の人柄がにじみ出ているからであろう」。

「われわれは江戸時代の人びとの生活を封建的身分制の中で恐々と生き、近代からみて遅れた社会であると思いがちであったが、しかしその風景はどうもちがうようである。この絵日記からは、下級武士たちの暮らしがどのようなものであったか、そしてどのような価値観をもって生きていたかを、具体的に、しかも視覚的に知ることができる。そこには、暮らしと生き方において、金銭物欲的で利己的な価値観がはびこる自己中心的な現代の社会的風潮とは異なり、きわめて心豊かな暮らしの風景を多く見出すのである」。

例えば、正月11日に、友人の津田宅で催された福引は、このように描かれています。「座敷とみられる部屋には、何と25人ほどの大勢の人びとが押し合いへし合いして集まっていた。そこからは、むんむんとした熱気のようなものが感じとれる。その中には妹の邦子もいた。挿絵に見るその姿は、人びとの真ん中のやや右よりに坐る石城に当たりくじの結果を告げているようだ。赤子のおきぬをおんぶして立つたくましい女の姿である。そして石城の前と後ろには、料亭山本屋の後家女将とその娘、その右横には先ほどまでいっしょに飲んでいた大蔵寺の和尚、その向こうには寺嶋元太郎の母おすかもいた。ほかにも料亭の女らしき吉田お安、下級武士中嶋春三郎の娘も右の辺りで楽しんでいる。一方、男たちを見れば、石城宅での酒宴の際に彼に命ぜられて必死に田楽を焼いていた長谷川常之助、それに大蔵寺手作の良啓もいた。もちろん親友の岸左右助や加藤雄助などの武士たちも大勢いた。左端には主催者の津田が福引に使った紐のようなものを垂らし、それを紐解いているのは空くじに終わった人が残念そうな思いでそれを再確認しているようだ。集団の右端には、津田の室らしき女が長火鉢のそばでにこやかに皆と話し合っているように見える。福引が終わり、酒とお茶が出て、皆の楽しそうな語らいがいつまでもつづく津田宅の夜の風景であった。ここでも愉快なのは、そこに武士たちだけでなく、彼らの家内や娘たち、それに寺の和尚や町人たちも大勢参加していることである。まさしく身分の垣根を超えた交わりであった」。

彼らは、貧しい暮らしながらも、なぜ、このような穏やかで温かい気持ちになれるのでしょうか。「それは過度の欲を持たず、身の回りのささやかな暮らしの中に喜びを見出すという生き方にあり、そのことで心にゆとりが生まれていたからであろうと思う」。

ほのぼのとした気持ちにさせられる、ユニークな一冊です。