盲目の祖父は「測量」しながら歩き回り、付き添う僕が記録する・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1569)】
フヨウが桃色の花弁を大きく開こうとしています。ベゴニア・センパフローレンスが桃色の花をたくさん付けています。マンデヴィラのローズ・ジャイアントという品種が桃色の花を咲かせています。ザクロ、ツバキが実を付けています。緑に囲まれた図書館で、暫し、女房が本に見入っています。因みに、本日の歩数は10,606でした。
閑話休題、『不時着する流星たち』(小川洋子著、角川文庫)は、小川洋子という作家の個性溢れる想像力が生み出した短篇集です。
例えば、「測量」は、独自の世界観を持つピアニスト、グレン・グールドに刺激されて誕生した作品だが、こんな物語です。
「僕」の祖父は「長く生きすぎたせいで、祖父の目は見えなくなってしまった。少しずつ悪くなるのではなく、ある朝起きるとあたり一面、真っ暗闇になっていた。・・・盲目になってからも生活にさほどの不自由は生じなかった。祖父は家中を歩いて回り、あらゆる箇所の歩数をかぞえて僕に記録させた。居間や台所や寝室の四方の壁沿いに歩くのはもちろん、帽子掛けと靴箱と玄関扉、髭剃りセットとシャワーの蛇口、お菓子専用の戸棚とガスレンジのつまみ、猫の餌が仕舞ってある引き出しとサンルームの出窓、ラジオとソファーの一番柔らかいクッション、書き物机の(亡くなった)祖母の写真とベッドの枕・・・。考えつく限りの点と点を結び、その間の距離を測った。計測は屋内にとどまらず、庭へも及んだ。たいして広くはなく、手入れも行き届いているとは言えなかったが、やはりそこにも計測されるべき線は縦横に張り巡らされていた。ユーカリ、庭園灯、ヤマモモ、散水栓、モッコウ薔薇のアーチ、納屋、モクレン、物干し竿、犬小屋の残骸・・・。祖父は粘り強く歩き続け、数字をつぶやき続けた。途中、付き従う僕の方がくたびれるくらいだった。ノートに記された縦棒と横棒の柵は複雑に入り乱れ、どんどん暗号めいていった。しかし祖父が混乱し、投げやりになったり癇癪を起こしたりすることは一度もなかった。常に冷静に、自分の足が生み出す軌跡の細部と全体像、両方を把握していた」。この祖父は常人の域を超えているが、常に付き添い、記録し続ける僕も只者ではありません。やがて、二人は、小さい頃、大金持ちだったと言う祖父から誘われ、祖父の土地だったという広大な範囲を歩き回るのです。
歩き回るだけでなく、祖父は、不思議な虫を脳内に住まわせています。「夕食のあと、僕が本を読んでいるそばで、定位置のソファーに座り、黙って煙草を吸っている様子など見ていると、盲目なのを忘れる瞬間さえあった。そういう時、祖父は口笛虫の音楽に聴き入っているのだと僕は知っていた。その虫が祖父の脳みそに住み着いたのは、目が見えなくなるずっと以前、祖母が死んでまだ間がない頃だった。『口笛のとっても上手な虫だ』。祖父は心の底から感心していた。『どんな形?』。まだ子どもだった僕は、それがオオクワガタのように恰好いい昆虫だったらいいのに、と思っていた。しかし祖父の説明によれば、ぱっとしない容姿の持ち主であるのは間違いなさそうだった。ぷっくりと膨らんだ蛇腹状の胴体。毛羽立ってべたべたした脚。長すぎる触角。薄っぺらな翅。とにかくそれが脳みその奥深くにまで迷い込み、とうとう出られなくなったのだ。『どこから入ったの? 耳から?』。『いや、いや』。祖父は耳の裏側にほんのわずか残る髪をかき分け、焦げ茶色の疣を見せた。『ここが入口だ。普段はこれで蓋をしている』。祖父は疣を人差し指の腹で優しく叩いた。・・・『開けて見せて』。すかさず僕はせがんだが、祖父はすまなそうに首を横に振った。『せっかくの口笛虫が、逃げてしまったらどうする? 見かけによらず、すばしこいのだ。用心するに越したことはない』。死んだ祖母と入れ替わるようにしてやって来た虫だから、たぶん逃がしたくないのだろうと納得し、僕は潔く引き下がった。口笛虫は、口がどこにあるのかさえよく分からないほどなのに、自在に口笛を操り、見事な音楽を奏でる。その小さな体で、どんなに一流の演奏家にもオーケストラも出せない豊かな音を、脳みそ一杯に響かせる」。
いじいじした私小説的な作品を読んだ後は、こういう毅然と自分の生き方を貫いている人物の物語で気分直しをしたくなります。