須賀敦子の父には愛人がいて、二つの家庭を持っていた・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1229)】
台風が来る前にと、急いで散策に出かけました。トケイソウが時計のような花を咲かせています。実も生っています。ハギに似ている桃色の花の名前が分からず、植物に造詣の深い柳沢朝江さんに問い合わせたところ、ヌスビトハギと判明しました。ヒガンバナの花芽を見つけました。モミジバフウの葉と実が落ちています。因みに、本日の歩数は10,290でした。
閑話休題、須賀敦子は、私の最も好きな現代作家の一人です。最近、読んだ『本を読む。――松山巖書評集』(松山巖著、西田書店)の中で、私は未読の『ヴェネツィアの宿』(須賀敦子著、文春文庫)が取り上げられており、須賀の父には愛人がいて、二つの家庭を持っていたと書かれているではありませんか。これは読まなくてはと、連作エッセイ集『ヴェネツィアの宿』を早速、手にした次第です。
「父がふたつの家庭をもっているのを知ったのは、私がはたちのときだった。・・・夕食のあと、ふたりだけになるのを待って、母がぽつりと言った。パパが家を出ちゃったの。会社にも出てないらしい。・・・それでいま、どこにいるの、と訊ねると母は心もとなさそうに言った。わからない。先月あたりからパパはずっと、からだの調子がよくないって言ってたのよ。それなのに、家を出ていくなんて。変なひと。・・・こんどばかりは、ばっさり、うらぎられちゃったみたい。そう言って母は小さな笑い声をたてた」。
「病気だったらうちで寝てればいいのに。それに大阪にだって病院はあるでしょう。父にむかってそう言いながら、私は彼の肩に半分かくれて、ちょっと膝を曲げたような姿勢で立っている女をにらんだ。背のたかい父とほとんど肩をならべるくらい彼女は上背があって、面長な色白の顔も、骨太な体格も、小柄で肌が小麦色の母とはすべてが対照的といってよかった。・・・彼女はからだつきも着るものも、ほとんどすべての面で母とは違っているのに、どこかふたりに共通するものがあるように思えた。どうしてだろうと考えていて、はっとした。このひとも、母とおなじように父のほうを向いて生きているうちに、父の好みに染まってしまったからではないか」。
「やっぱりそうだったのねえ。その日、私が京都から帰って、父の愛人に会ってしまったことを話すと、病床の母はそう言って、淋しそうに笑った。どうもあの人はうそをついてると感じてはいたんだけれど、信じたくなかったのよね」。
「父が家を出て二年目になると、母も私たちも、そろそろがまんの限界に達していた」。
「とうとうパパが帰ってきました、と母から手紙がきたのは翌年の一月だった。十一月に麻布の家で母と話してから二ヶ月目だった。七日の昼に会社から電話をかけさせて、夕方、なんでもなかったように、ふつうの顔して、家にかえってきました。あきれたものです。でも、かたちだけだって、ぜんぜんないよりはましなのでしょう」。
「私は飛行機の中からずっと手にかかえてきた(父に頼まれたヨーロッパ土産の)ワゴン・リ社の青い寝台車の模型と白いコーヒー・カップを、病人をおどろかせないように気づかいながら、そっと、ベッドのわきのテーブルに置いた。それを横目で見るようにして、父の意識は遠のいていった。翌日の早朝に父は死んだ。あなたを待っておいでになって、と父を最後まで看とってくれたひとがいって、戦後すぐにイギリスで出版された、古ぼけた表紙の地図帳を手わたしてくれた。これを最後まで、見ておいででしたのよ。あいつが帰ってきたら、ヨーロッパの話をするんだとおっしゃって」と結ばれています。
聡明で感受性豊かな須賀は、この両親の関係から何を学んだのでしょうか。彼女の他の作品から判断して、イタリア人の夫、ジュゼッペ・リッカ(愛称:ペッピーノ)との関係にしっかり活かされているように思われます。それにしても、男と女の関係は、どうしてこうも一筋縄では行かないのでしょうか。