小運河が交差する廃墟のような田舎町で起こった愛の悲劇・・・【情熱的読書人間のないしょ話(51)】
埼玉県幸手市の権現堂堤を、またまた訪れてしまいました。中川沿いの堤のソメイヨシノ並木の桜色と、堤下の絨毯を敷き詰めたようなナノハナ(セイヨウアブラナ)の黄色との絶妙なコントラストに、女房もうっとりしています。ナノハナ特有の匂いがプンプンしています。因みに、本日の歩数は20,409でした。
閑話休題、福永武彦の小説を読み返したくなって、書斎の書棚から『廃市・飛ぶ男』(福永武彦著、新潮文庫。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)を取り出してきました。
短篇『廃市(はいし)』は、いかにも福永らしい恋愛小説です。卒業論文を書くために「廃墟のような寂しさのある、ひっそりした田舎の町」にやってきた大学生の「僕」の一夏の経験が描かれています。
「町のほぼ中央に大河(おおかわ)が流れ、それと平行して小さ川と呼ばれる川が流れ、その両方の間を小さな掘割が通じていて、それらの人工的な運河は町を幾つにも区切っていた」。
僕が滞在したのは、その町の旧家でした。「大きな家だったので雇われている女中たちも幾人かいたが、僕の世話をするのは安子さんの役目になっていた。それは二十歳そこそこの快活な娘で、この陰気な家には不似合なほど若さを蒔き散らしていた。彼女は僕の勉強中にもとんとんと軽い跫音を立てて階段を昇って来ると、まず、お邪魔かしら、と訊き、それから用意して来たお茶の道具や果物などを机の上に置いた」。
やがて、僕は安子の姉・郁代と、その夫・直之に出会うのですが、なぜか郁代は近くの寺に籠もり、直之は別宅で秀という女と暮らしているのです。郁代は「安子さんとそっくりに似ていながら、もっと憂い顔でそのために如何にもお姉さんらしく見えたが、実際にはそんなに年が違ってはいなかっただろう。安子さんよりも細面で、どんな人をも思わず振り向かせるような美しさ、それも悲劇的な感じのする古風な美しさがあった。お辞儀一つでも安子さんよりももっと静かでしとやかだった」。
「僕の考えていたのは不幸な夫婦のことだった。由緒ある旧家の若主人は別の女と暮している、美しい妻は寺の中に引籠ってしまう、そして妹ひとりが間に立って心を砕きながら、祖母の世話をして旧家を守っている。それは如何にもありふれた家庭悲劇のように見えたから、僕は後になるまで、この別居生活の隠された意味が何であるかを、そしてそれが真の悲劇にまで発展する可能性を持っていたことを、少しも暁(さと)ることが出来なかったのだ」。実際、この後、起こった事件は意外なものであり、その真相はさらに衝撃的なものだったのです。
やはり、福永の恋愛小説はいいなあ。愛とは何か、愛するとはどういうことかを考えさせられてしまいました。