榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

「黄色いカーディガンの女」が「むらさきのスカートの女」を執拗に観察し続けた経過報告書・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1605)】

【amazon 『むらさきのスカートの女』 カスタマーレビュー 2019年9月9日】 情熱的読書人間のないしょ話(1605)

真っ赤な夕焼けに見とれていたら、数匹のアブラコウモリが飛び交っているではありませんか。彼らは動きが素早いので、なかなかカメラに収めることができません。夢中になって100回以上シャッターを押し、気がついた時は真っ暗になっていました。因みに、本日の歩数は10,516でした。

閑話休題、『むらさきのスカートの女』(今村夏子著、朝日新聞出版)では、「わたし」こと「黄色のカーディガンの女」が「むらさきのスカートの女」を執拗に観察し続けた経過報告が淡々と語られていきます。筆致は淡々としていても、観察される「むらさきのスカートの女」の行動も、観察する「黄色のカーディガンの女」の行動も、尋常ではなく、かなり異常です。実は、「むらさきのスカートの女」は「黄色いカーディガンの女」なのではないか、『黄色いカーディガンの女』と「むらさきのスカートの女」は「わたし」という一人の人間の半身なのではないか――と、読み手を惑わせることが作者の目的であるならば、その狙いは成功していると言えるでしょう。しかし、こういうテクニカルな作品で有名な文学賞を受賞したことを、してやったりと作者がほくそ笑んでいるとしたら、実に、もったいないことです。文学というのは、テクニックを駆使して、自分が訴えたい大切なものを読み手に伝えるものだと、頭の古い私は考えているからです。