榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

立川談志が一番言いたかったこと・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1606)】

【amazon 『談志 最後の落語論』 カスタマーレビュー 2019年9月10日】 情熱的読書人間のないしょ話(1606)

私が子供の頃は、あちこちで見かけた二宮金次郎(尊徳)の像だが、近頃は滅多に出会えなくなりました。二宮尊徳は私の尊敬する人物の一人です。因みに、本日の歩数は10,988でした。

閑話休題、『談志 最後の落語論』(立川談志著、ちくま文庫)では、「業」、「非常識」、「イリュージョン」、「狂気」、「上手い」といった言葉が飛び交うが、立川談志が一番言いたかったのは、こういうことだと思います。

「歌舞伎の勘三郎にしても、その他の演劇にしても、西洋の真似ばかりだ。ピカソが天才と言っても、広重の富士には敵わない。伝統とは、そういうものなのだ。落語の素晴らしさ、江戸っ子の了見、伝統を大切にする行為は、それら(西洋の真似ごと)とは対極にあるものだ。熊公がいて、八公がいて、ご隠居がいて、若旦那がいて、そして大工場(だいくば)にある木っ屑、そういうものを含めた江戸の『風』や『匂い』、それらを大事にしない限り落語は崩壊するのに、いまの噺家は誰ァれも判っちゃいない。いくら談志が言っても伝わらない。私が若い頃は、伝統を大事にする落語家がいて、席亭がいて、客がいた。大事にするだけではなく、伝えていた。けど現在(いま)は、言わなくなった。誰も何も言わない。楽屋に入ってきて、高座に上がってお笑いを申し上げて下がってきて帰るだけだ」。

談志は、江戸の「風」や「匂い」を大事にする語り手を「落語家」、「高座に上がってお笑いを申し上げて下がってきて帰るだけ」の語り手を「噺家」と、皮肉を込めて使い分けています。

「志の輔、談春、志らくを呼べ。師匠として、言っておきたいことがある」。

「もう、それは俺の出番ではない。志の輔がやれ、談春がやれ、志らくがやれ。ずばっといえば、俺と人生を過ごした奴だけが落語を覚えたのだ。『談志』という存在を含めて」。

それにしても、名人と言われた歴代の落語家を差し置いて、ナンセンス落語の柳家三語楼、柳家権太楼、柳家金語楼を、談志が高く評価していることに驚かされました。