榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

インドのカースト制度の差別と闘い、仏教への改宗を推進する僧・佐々井秀嶺・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1621)】

【amazon 『佐々井秀嶺、インドに笑う』 カスタマーレビュー2019年9月25日】 情熱的読書人間のないしょ話(1621)

この季節は、どこの草原に行っても、ノシメトンボの天下です。腹部が赤いのは雄、腹部の下側が黄色いのは雌です。因みに、本日の歩数は10,815でした。

閑話休題、『佐々井秀嶺、インドに笑う――世界が驚くニッポンのお坊さん』(白石あづさ著、文藝春秋)の主人公・佐々井秀嶺(しゅうれい)と、密着取材する著者・白石あづさとの間で、このような会話が交わされています。「佐々井さんはしんみりと話し始めた。『龍笑(佐々井が白石に与えた名)、もう、お前と生きて会えないかもしれないな。お前が書く本は俺の最後の言葉になるかもしれん。俺は取材に来てくれて嬉しかった。<破天>を書いてくれた山際(素男)先生が亡くなった後、俺の言葉を託せる人がほとんどいなかったから』。『佐々井さん、本当に危ないなら、寺に戻ってパスポート持って一緒に日本に帰りましょう』。『ばかもの! 俺はインド人だ。ビザがいる。そう簡単にはいかん』。『ではデリーの隠れ家にしばらく潜伏するとか』。『いいんだ、もとよりインドの大地で野垂れ死ぬ覚悟だ。インド国籍を取っても、いつも心に武士道がある。日本男児たるもの、困っている民衆を見捨てることはできん。ブッダガヤの奪還、マンセル遺跡の発掘、仏教徒の地位向上、まだまだやることは山積みだ。差別され、今日も泣いている人がいるのに、どうして自分だけ逃げることができようか』。『いくらお坊さんとはいっても、(暗殺で)命を狙われてまで、どうして居続けるのですか?』。『俺はインド民衆に生かされているからだ』」。

本書は、3年前の、インド仏教最大の祭典「大改宗式」で、佐々井が100万人の仏教徒を前に演説するシーンから始まります。「『みなさーん! 私は小さな坊主である。インド全仏教の会長に選んでいただいたのは、私が普段から真面目であり、強固な精神の持ち主だとみなさんが考えてくれたからであろう。金集めも経営もできないが、これからも小さな坊主として命がけで差別や貧困と闘っていく所存である!』」。

「大多数がヒンドゥー教徒であるインドで、不可触民と呼ばれる人々を中心にカースト(身分制度)のない仏教に改宗する人が今、爆発的に増えている。不可触民とはインド人口13億人のうち、約2割にあたり、一番下のシュードラ(奴隷階級)にさえ入れないカースト外の人々で、3000年間ずっと『触れると穢れる』と差別されてきた。半世紀ほど前、数十万人しかいなかった仏教徒が、今では1億5千万人を超えている。その仏教復興の中心的な役割を果たしてきたのが、1967年、32歳でインドにやってきた佐々井さんなのである」。

インドに渡ってくるまでの佐々井の壮絶な前半生は、本書で知ることができます。

「南アフリカでの差別やイギリスの支配には断固として闘った(マハトマ・)ガンジーであったが、国内のカースト制度はなぜか黙認した。カーストによる差別や暴力はいけないというスタンスは持ちつつも、不可触民を『神の子』として名前をつけ保護することで、むしろ制度そのものを残そうとしたのだ。・・・もし、不可触民が団結し、基本的人権を要求したら、反対派との対立から暴動がおこり、インド経済が立ち行かなくなると恐れたのかもしれない」。

「(一方、不可触民出身の(ビームラーオ・)アンベードカルは苦労の末)法務大臣に就任し、ガンジーが1948年、78歳でヒンドゥーの過激派に暗殺された後、不可触民制度の廃止を盛り込んだ憲法をほぼひとりで作りあげた。1949年に国会で採択されたものの、なかなか差別はなくならなかった。相変わらず上位カーストは不可触民の人々を虐待し、搾取し続けていた」。

「志半ばで倒れたアンベードカルの遺志を継ぎ、『こんな時、彼だったらどうするか?』と自然に考え行動するようになった。もしまだ生きていたら、きっと寺を各地に建て、皆を団結させ、慈悲の心を持った僧を育て、差別と闘うよう指導しただろう。それからというもの、佐々井さんは寝る間も惜しみ、不眠不休で貧しい人々のために働いた。・・・さらに集会では、アンベードカルの唱えた『仏教は菩薩行を通して世界平和を目指すものであり、そのために自分で行動を起こすことが大切だ。ただ座ってお経を唱えていることが仏教ではない』『自分のことだけ考えるのではなく人のために生きる。そうすることで、自分も良くなっていく』という教えを説いてまわった。それは大乗も小乗も宗派も関係なく、信者が自立し行動する『アンベードカル仏教』とも呼べるものだった」。

「さらに佐々井さんは貧しい仏教徒のための学校を作ったり、男性に比べて自立が難しい女性のための就職予備校を開いた。自分の開かれた差別的な歴史や状況を理解するためにも、また、手に職をつけるためにも教育は大事だ。一方で身よりのない老人のために無料の養護院や病院も建て、次々と社会事業を手掛けていった」。

同じ日本人に(現在はインドに帰化しているが)、佐々井のような差別と行動的に闘う人物がいることを誇らしく思います。