ずば抜けた精神力と行動力を兼ね備えた政治家・野中広務の権力闘争史・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1787)】
元気に飛び回るモンシロチョウ、地面から飛び出しているダイコン、落下したハナユ(ハナユズ)の実、ドウダンツツジの蕾、直径が10cmを超える大輪のツバキ、さまざまな色合いのパンジーをカメラに収めました。因みに、本日の歩数は10,481でした。
閑話休題、反戦、反差別の闘士・野中広務は私の好きな政治家です。『野中広務 権力闘争全史』(大下英治著、エムディエヌコーポレーション)では、野中が権力闘争の面でも、ずば抜けた精神力と行動力を兼ね備えた闘士であったことが生き生きと描かれています。
古賀誠も私の好きな政治家の一人です。その古賀が、野中をこう評しています。「野中先生は、権力闘争でも、加藤の乱の鎮圧に見られるように見事な手腕と胆力を発揮されたのですが、個人的な好き嫌いで権力闘争を繰り広げていたわけではなく、ブレずに王道を歩いていました。だから、小手先のやり方では誰も太刀打ちできなかったのでしょう。当時、自由党と連立する際に野中先生の『悪魔にひれ伏してでも~』との発言が話題になりましたが、権力闘争を勝ち抜くには常に何が必要なのかを見きわめて行動していました。勝ち抜くために頭を下げるわけですからね。野中先生はあまり群れない人でした。自分の哲学を貫くために数が必要な場合にはそれを求めることもあったでしょうが、特別こだわる人ではありませんでした。自分の派閥をつくったりなんてことにはまったく関心を示さなかった」。
著者・大下英治は、野中をこう分析しています。「野中の『反戦』は、野党的イデオロギー的な反戦ではない。野中の体験的情念に由来する反戦だ。中曽根政権において、ペルシャ湾岸への掃海艇派遣に断固反対し、閣議でのサインを拒否してまで総理への諫言をおこなった名官房長官・後藤田正晴と同様、大正生まれの野中は戦争体験のある保守政治家として、国益の損失、交戦エリアへの自衛隊派遣の意味を吟味し、国民の生命を失うことにつながる安易な安保政策の解釈変更を絶対に許さなかった。いま一つ。生前、野中本人が公言したように、被差別部落の出身者であるという業を背負ったことも、彼の人生を決定づけた」。
「『影の総理』『政界の狙撃手』と呼ばれ、幾多の激しい権力闘争をくぐり抜け、平成の政治をリードした野中の根底に一貫してあったのは、『弱者への眼差し』だった。長く差別や偏見を受けてきたハンセン病患者に寄り添い、自身の功名を捨て、小泉内閣において『控訴断念』の道筋を陰でつけたのは、実は野中の尽力による。ハンセン病患者・元患者家族をはじめ、野党の幹部みなが野中に深謝した。その一方で、野中は差別を利権、食い物にする者たちの前に立ちはだかり、戦った。『これは私だからこそ出来る戦いだ。私にとっての使命だ』。・・・野中の生涯は、不正を炙り出し、敵を刺すことの連続であった」。
現在、野中のような骨のある政治家が見当たらないのは、何とも寂しいことです。