榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

一冊読んだ後に、どんな本を読んだらよいのか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1631)】

【amazon 『次の本へ』 カスタマーレビュー 2019年10月5日】 情熱的読書人間のないしょ話(1631)

イチモンジチョウ、ツマグロヒョウモンの雄の表翅と裏翅、ヒメアカタテハの雌、モンキチョウ、ヒメクロホウジャク、キンケハラナガツチバチの雌、コガタスズメバチ、アキアカネをカメラに収めました。因みに、本日の歩数は10,465でした。

閑話休題、『次の本へ』(苦楽堂編、苦楽堂)は、一冊読んだ後に、どんな本を読んだらよいのかをアドヴァイスするという、ちょっと珍しいタイプの本です。

「この本では、84人の方たちが『次の本との出合い方』を案内してくれます。『次の本』とのさまざまなつながり方、出合い方が登場します」。

とりわけ印象に残ったのは、3人のアドヴァイスです。

第1は、「『武蔵野』から『森を読む』へ――『森』と名がついた本を手当たり次第に探してみると 赤坂憲雄」です。「いま、『図書』という岩波書店のPR誌で、『武蔵野を読む』と題した連載をやっている。・・・わたしの幼少年期は、まさしく武蔵野の雑木林と共にあったようなものだ。・・・そんなわけで、雑木林はまさしく、わたしにとっては原風景そのものだった。(国木田)独歩の『武蔵野』はいわば、その、わたしの原風景を読みほどくための鍵となるのかもしれない、と感じてきた。・・・タイトルに『森』のつく本を手当たり次第に拾い読みするうちに、ついに出会ったのが、大場秀章の『森を読む』という本だった。専門書というよりは、むしろ入門書に分類されそうな本であった。ありがたいことに、この本の一節に、ごく簡潔にではあるが、武蔵野の雑木林の出自が解き明かされていたのだった」。東京・杉並の荻窪育ちの私にとっても、武蔵野の雑木林は原風景そのものです。

第2は、「『ラ・ロシュフコー箴言集』から『告白と呪詛』へ――箴言に水をさされても箴言集好きはやめられず 山田太一」です。「アフォリズムに引きこまれたのが(ラ・ロシュフコーの)『ラ・ロシュフコー箴言集』で、高校のころだったと思う。・・・それから、いろいろなアフォリズムを読むようになった。すると『書物より人間を研究することがいっそう必要である』というロシュフコーの言葉がよみがえって水をさされたが、それでも私のアフォリズム好きはやめられず体系的な哲学や長大な名作小説などより余程自分をゆさぶられるように思えた。・・・そして、シオランに出会ったのだった。『人間であること以外、もはや、人間たちと、どんな共通点もなくなってしまった』という人の『毒舌』集である」。私も、かなりのアフォリズム好きと自負しています。

第3は、「『銃・病原菌・鉄』から『歴史』へ――どんなに優れた本でも、なぜ一冊では完結しないのか 山本一郎」です。「(ジャレド・ダイアモンドの)『銃・病原菌・鉄』はより長い時間を俯瞰しながら文明同士の遭遇と衝突、帰結を明快に著している。細やかな事実関係の違いや、著書の主観で断定された内容への違和感を感じたならば、その解決には2つの道筋がある。ひとつは同時代にまつわる県連書籍をもっと読み込むこと、もうひとつはより広い視座を与えてくれる概念を自分の中に取り込むことだ。すなわち、『銃・病原菌・鉄』をより自分の中に落とし込もうとするとき必要な書籍のひとつは間違いなく『歴史』(ヘロドトス)である。・・・歴史を知るということは、人間を知るということだ。人間を知ることで、迷うことなく判断を下し、己の人生をより豊かで実りあるものとしたいという願いであると言えよう」。「歴史を知るとは、人間を知ることだ」とは、いい言葉ですね。