榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

死を覚悟しての獄中手記は、まるで、純度の高い恋愛小説のようだ・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1650)】

【amazon 『何が私をこうさせたか』 カスタマーレビュー 2019年10月24日】 情熱的読書人間のないしょ話(1650)

ムベの実が赤紫に色づいています。カリンが黄緑色の実をたくさん付けています。トキワサンザシが赤い実をびっしりと付けています。ハナミズキの赤い実が陽を受けて輝いています。ススキの穂の芒(のぎ)が銀色に光っています。キクが咲き始めました。

何が私をこうさせたか――獄中手記』(金子文子著、岩波文庫)は、23歳という若さで、獄中で自ら縊死した金子文子の遺書であり、自叙伝です。

信じられないほど苛烈な家庭環境の中で育った文子は、身近で経験した朝鮮人差別に憤りを覚え、思想的な思索を重ねる女性に成長していきます。

「けれど、実のところ私は決して社会主義思想をそのまま受け納れることができなかった。社会主義は虐げられたる民衆のために社会の変革を求めるというが、彼らのなすところは真に民衆の福祉となり得るかどうかということが疑問である。『民衆のために』と言って社会主義は動乱を起すであろう。民衆は自分達のために起ってくれた人々と共に起って生死を共にするだろう。そして社会に一つの変革が来ったとき、ああその時民衆は果して何を得るであろうか。指導者は権力を握るであろう。その権力によって新しい世界の秩序を建てるであろう。そして民衆は再びその権力の奴隷とならなければならないのだ。しからば、××とは何だ。それはただ一つの権力に代えるに他の権力をもってすることにすぎないではないか」。「××」は「革命」だろうが、社会主義の本質を鋭く見抜いている文子の理解力と眼力には驚かされます。

このような中で、強烈な印象を与える力強い詩を書く在日朝鮮人・朴烈(ぼくれつ)を知り、これこそ運命の人と思い定め、彼女のほうから求婚するのです。

「――そうだ、私の探しているもの、私のしたがっている仕事、それはたしかに彼(朴)の中に在る。彼こそ私の探しているものだ。彼こそ私の仕事を持っている。不思議な歓喜が私の胸の中に躍った。昂奮して私は、その夜は眠れなかった」。

「翌日、朝早く私は鄭を訪ねた。そして、朴と交際したいから会わせてくれと頼んだ」。

「私はつづけた。『で、ですね、私は単刀直入に言いますが、あなたはもう配偶者がお有りですか、または、なくても誰か・・・そう、恋人とでもいったようなものがお有りでしょうか・・・もしお有りでしたら、私はあなたに、ただ同志としてでも交際していただきたいんですが・・・どうでしょう』。何という下手な求婚であったろう。何という滑稽な場面だったろう。今から思うと噴き出したくもあるし、顔が赤らんでも来る。けれどその時の私は、極めて真面目に、そして真剣に言ったのだった。『僕は独りものです』。『そうですか・・・では私、お伺いしたいことがあるんですが、お互いに心の中をそっくりそのまま露骨に話せるようにして下さいな』。『もちろんです』。『そこで・・・私日本人です。しかし、朝鮮人に対して別に偏見なんかもっていないつもりですがそれでもあなたは私に反感をおもちでしょうか』。朝鮮人が日本人に対して持つ感情を、私は大抵知りつくしているように思ったから、何よりもさきに私はこれをきく必要があった。私はその朝鮮人の感情を恐れたのだ。しかし朴は答えた。『いや、僕が反感をもっているのは日本の権力階級です。一般民衆でありません。殊にあなたのように何ら偏見をもたない人に対してはむしろ親しみさえ感じます』。『そうですか、ありがとう』と私はやや楽な気持ちになって微笑した。『だが、もう一つ伺いたいですが、あなたは民族運動者でしょうか・・・私は実は、朝鮮に永らくいたことがあるので、民族運動をやっている人々の気持ちはどうやら解るような気もしますが、何といっても私は朝鮮人ではありませんから、朝鮮人のように日本に圧迫されたことがないので、そうした人たちと一緒に挑戦の独立運動をする気にもなれないんです。ですから、あなたがもし、独立運動者でしたら、残念ですが、私はあなたと一緒になることができないんです』。『朝鮮の民族運動者には同情すべき点があります。で、僕もかつては民族運動に加わろうとしたことがあります。けれど、今はそうではありません』。『では、あなたは民族運動に全然反対なさるんですか』。『いいえ決して、しかし僕には僕の思想があります。仕事があります。僕は民族運動の戦線に立つことはできません』」。朴は朝鮮独立運動の闘士だとばかり思い込んでいたが、本書を読んで、彼は朝鮮独立運動に見切りをつけた無政府主義者であったことを知りました。

「(話を)すればするほど、彼のうちにあるある大きな力が感じられた。次第に深く引きつけられて行く自分を私は感じた。『私はあなたのうちに私の求めているものを見出しているんです。あなたと一緒に仕事ができたらと思います』。私は遂に最後にこう言った。すると彼は、『僕はつまらんものです。僕はただ、死にきれずに生きているようなものです』と、冷やかに答えた」。

「私達はそれからたびたび会った。私達はもう、ぎごちない心で話し合う必要はなかった。私達は互いに心と心とで結ばれているような安らかさを感じていた。・・・そこで二人はまた、ぶらぶらと暗いお壕端に沿うて日比谷の方へ歩いた。夜はまだ冷たかった。二人は握り合った手を朴のオーヴァのポケットの中に突き込んだまま、どこというあてもなく、足の向くままに歩いた」。

「私達は事実、過去を語るよりは将来を語った。二人で拓り開いて行くべき道を、淡い希望をもって語り合った。『ふみ子さん、僕は本当に真剣に運動するために木賃宿に這入りたいと思うんですが、あなたはどうです』と、朴は不意にこう言い出した。『木賃宿ですか、いいですねえ』と私は答えた。『しかし汚ないですよ、南京虫がいますよ、あなた、辛抱ができますか』。『できますとも、そんなこと辛抱できないくらいなら、何もしない方がいいでしょう』。『そうです、たしかにそうです・・・』。こう言って朴はしばし口を緘んだ」。

「(帰っていく朴を)見送りながら、私は心の中で祈るように言っていた。『待って下さい。もう少しです。私が学校を出たら私達はすぐに一緒になりましょう。その時は、私はいつもあなたについています。決してあなたを病気なんかで苦しませはしません。死ぬるなら一緒に死にましょう。私達は共に生きて共に死にましょう」と、手記は結ばれています。

文子の死を覚悟しての獄中手記は、まるで、純度の高い恋愛小説のようではありませんか。このように自分の考えをしっかりと持ち、また、それを率直に伝えることのできる文子のような女性に巡り合ったら、たちまち、その虜になってしまいそうです。

文子と朴の愛のあり方を通じて、人を愛するとはどういうことか、死刑判決をも恐れぬ愛のあり方がどうして可能なのか――を、深く考えさせられました。