榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

室町幕府が東国統治のために設置した鎌倉府の実証的な入門書・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1656)】

【amazon 『図説 鎌倉府』 カスタマーレビュー 2019年10月30日】 情熱的読書人間のないしょ話(1656)

今朝は、濃霧の中を心ゆくまで彷徨いました。その川辺篇です。因みに、本日の歩数は10,474でした。

閑話休題、『図説 鎌倉府――構造・権力・合戦』(杉山一弥編著、戎光祥出版)は、室町幕府が東国社会を制御、調停するために設置した統治機関・鎌倉府の入門書です。入門書とは言っても、信頼できる古文書、古記録などの実証的研究に基づいているので、説得力があります。

補佐役として鎌倉公方を支えた関東管領(かんれい)は、このように説明されています。「南北朝期に上杉憲顕が就任して以来、代々上杉氏一族が担った。上杉氏一族のなかでも犬懸上杉氏と山内上杉氏が関東管領を務めたが、上杉禅秀の乱で犬懸上杉氏が没落すると、山内上杉氏が独占するに至った。・・・関東管領は鎌倉公方を補佐していたが、任命権は室町幕府にあった。そのため、関東管領は鎌倉府と幕府を取り次ぐ役目を担った。そして、公方が幼少の際には政務を代行するなど、重要な役割を果たしたことが知られる。・・・享徳の乱の勃発により鎌倉府が解体しても、関東管領の職が消滅したわけではない。その後も山内上杉氏が世襲し、小田原北条氏の脅威に晒された上杉憲政の譲りをうけた上杉謙信(長尾景虎)まで連綿と続いていったのである」。

分家が多く分かり難い上杉氏については、このように整理されています。「室町幕府が開創すると、上杉氏は主に関東で重用された。観応の擾乱では(足利)直義方につき、一度は没落するも、足利義詮・基氏兄弟の要請で上杉憲顕が復権した貞治元(1362)年以降は、鎌倉府の中心勢力となっていく。なお、この時期の上杉一族は、まだ山内・犬懸・扇谷(おうぎがやつ)・宅間などには分立していない」。足利尊氏・直義兄弟の母が上杉氏の娘であったので、上杉氏は足利氏の外戚として関東で繁栄したのです。

鎌倉府と室町幕府の関係は、対立と融和の繰り返しの歴史でした。

当時の武家は、このように位置づけられています。「中世後期(南北朝期~戦国期)の武家社会では、足利氏を頂点とする身分秩序・血統秩序が存在した。上から順番に①足利氏、②御連枝、③御三家、④一門、⑤非一門となっている。・・・足利氏は、将軍(室町殿)・公方(鎌倉殿)のことである。・・・御連枝は、足利氏の兄弟たちやその末裔のことである。・・・御三家は、吉良・石橋(関東では岩松)・渋川の3氏のことである」。なお、今川氏は吉良氏から分かれた家系です。