榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

『叛鬼』は、司馬遼太郎への「叛旗」だという仮説・・・【山椒読書論(80)】

【amazon 『叛鬼』 カスタマーレビュー 2012年10月13日】 山椒読書論(80)

叛鬼』(伊東潤著、講談社)は、本当に久しぶりに歴史小説の面白さを堪能させてくれた。

この『叛鬼』は、著者の司馬遼太郎に対する「叛旗」だというのが、私見である。なぜならば、今なお人気の衰えぬ司馬遼太郎の歴史小説から、文中にしばしば顔を出す時代背景や考証の長くなりがちな説明部分を省いたのが、伊東の歴史小説だからである。このため、ストーリー展開の緊迫感が持続し、臨場感をまざまざと味わうことができる。

因みに、歴史小説と時代小説は分けて考えるべきと、私は思っている。諸説があるが、私なりの分類では、海音寺潮五郎、司馬遼太郎、永井路子、宮城谷昌光、伊東潤などの作品は歴史小説、吉川英治、藤沢周平、佐伯泰英、山本一力、宮部みゆきなどのそれは時代小説となる。歴史的事実に重きを置くか、歴史を小説の背景にとどめるかが、両者の分岐点だと思う。

『叛鬼』の主人公は、長尾景春という室町時代中期の実在の武将であるが、この時代の歴史の専門家以外で、この名を知る人は少ないだろう。景春の憧れの存在であり、景春が幾度となく挑戦しても跳ね返されてしまう文武両道の武将として、江戸城築城で有名な太田道灌が姿を現す。そして、道灌を上回るスケールの大きな人物として、小身から成り上がり、後北条氏の祖となった北条早雲が絡んでくる。道灌(景春より11歳上)と早雲(景春より13歳下)は私の好きな歴史上の人物なので、彼らが登場してきた時は、嬉しくなってしまった。

室町時代中期というのは、中央においては、足利将軍家で、幕府管領の細川氏で、そして関東では、古河公方(足利一門)と堀越公方(足利一門)で、関東管領の山内上杉氏と、その一族・扇谷(おうぎがやつ)上杉氏で、さらに、管領の家宰(家老格)の白井長尾氏と惣社長尾氏で、跡目相続の争いがあり、謀略や裏切りなど何でもありの勢力争いがありと、内訌が絶えなかった。白井長尾氏の嫡男・景春は、主君の上杉顕定に叛旗を翻したのを出発点として、生涯、「叛鬼」としての道を歩み続けたのである。

著者は、景春を「下剋上」の嚆矢と位置づけている。そして、「下剋上」の最大の大物は早雲と言えるだろう。「新たな時代は静かに胎動を初めていた」のである。一方、道灌は、武将として非常に優秀で人望もありながら、「下剋上」には距離を置き、主君・上杉定正のために大きな貢献をなし続けたのに、遂には、道灌の実力拡大を恐れ、その声望を妬んだ定正に謀殺されてしまうのだ。

上質の歴史小説って、本当に面白い。