作品は後世の読者からの影響を受けるという指摘には、目から鱗が落ちました・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1872)】
アオスジアゲハ、サトキマダラヒカゲをカメラに収めました。タイサンボクが大輪の白い花を咲かせ始めました。我が家の庭のアジサイの装飾花(萼)が青みを帯びてきました。
閑話休題、書名に惹かれて、対談集『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』(ウンベルト・エーコ、ジャン・クロード・カリエール著、工藤妙子訳、阪急コミュニケーションズ)を手にしました。
紙の本か電子書籍かというテーマについては、「本は死なない」という章で、ウンベルト・エーコが、「(電子書籍より)紙の本はもっと柔軟な道具ですよ」、「多くの分野で、電子書籍は素晴らしい利便性をもたらすことでしょう、それでもなお私が素朴な疑問として思うのは、かりに技術が需要に充分に応えられるほどに発達したとして、『戦争と平和』をどうしても電子書籍で読まなきゃならないかということです。いまのところ、何とも言えません。いずれにしても、トルストイはもちろん、それ以外の本も、パルプに印刷された本はすべて、じきに読めなくなります。理由は単純で、今書架にあるパルプの本はすでに変質しはじめているからです。1950年代のガリマール・エ・ヴラン社の本は、大部分がすでに姿を消しています。ジルソンの『中世の哲学』は、私が学位論文に取り組んでいたときに、ずいぶんお世話になった本ですが、今では手に取って見ることさえできません。ページが文字どおり粉々に砕けてしまうんです」、「どんな可能性も完全には否定できませんよ。一握りの好事家たちだけが、博物館や図書館に出かけて、懐古趣味的な興味を満足させる日だって、来ないともかぎらない」、「しかし、インターネットという素晴らしい発明のほうが、将来、姿を消すことだって考えらえるわけですよ」――と、何とも煮え切らないことを述べているだけなので、正直言って、がっかりしました。
がっかりした私が悪かったというべきか、この4cmもある厚い本は、もともと、古書愛好家・古書収集家が古書について縦横に語り合った対談集だったのです。
「是が非でも私たちのもとに届くことを望んだ書物たち」の章で、面白いことが語り合われています。
「書物の一冊一冊には、時の流れのなかで、我々が加えた解釈がこびりついています。我々はシェイクスピアを、シェイクスピアが書いたようには読みません。したがって我々のシェイクスピアは、書かれた当時に読まれたシェイクスピアよりずっと豊かなんです」、「書物はもちろん読まれるたびに変容します。それは我々が経験してゆく出来事と同じです。偉大な書物はいつまでも生きていて、成長し、我々とともに年を取りますが、決して死にません。時とともに作品は肥沃になり、変容し、そのいっぽうで、面白みのない作品は歴史の傍らを滑りぬけ、消えてゆきます」、「傑作は最初から傑作なのではなく、傑作になってゆくんです。もう一つ言っておきたいのは、偉大な作品というのは、読まれることで互いに影響を与えあうということです。セルバンテスがカフカにどれだけ影響を与えたかということはおそらく説明できるでしょう。しかし――ジェラール・ジュネットがわかりやすく示してくれていますが――カフカがセルバンテスに影響を与えたとも言うことができるのです。もしセルバンテスを読む前にカフカを読んだら、読書はカフカの影響で、みずから、そして知らず知らずのうちに『ドン・キホーテ』の読み方を変えてしまうでしょう。我々の生き方、個人的な経験、我々が生きているこの時代、受け取る情報、何もかも、家庭の不運や子供たちがかかえる問題までもが、古典作品の読み方に影響を与えるんです」。この、作品は後世の読者からの影響を受けるという指摘には、目から鱗が落ちました。
「『モナ・リザ』がその一例ですね。ダ・ヴィンチはもっと美しい作品をたくさん描いていると思うんです。たとえば、『岩窟の聖母』ですとか、『白貂を抱く貴婦人』ですとか。しかし、『モナ・リザ』はそれらの作品よりたくさん解釈されてきました。たくさんの解釈が画布の上に何層も堆積し、姿を変えてしまったんです。こういったことはエリオットが『ハムレット論』ですでに言い尽くしています。『ハムレット』は傑作ではない。出どころの異なる複数の要素が調和しそこない、とっちらかった悲劇である、と。だからこそ、『ハムレット』は謎めいているのであり、誰もが『ハムレット』について考えつづけるわけです。『ハムレット』が傑作なのは文学的に優れているからじゃないんです。『ハムレット』が傑作になったのは、『ハムレット』が我々の解釈に逆らうからです。後世に残るためには、奇抜なことを言うだけで足りてしまうこともあるんです」。
「それと再評価ですね。時の流れに耐えながら、日の目を見る日をじっと待っているかのような作品というのがあります。テレビ局から、『ゴリオ爺さん』を脚本化する気はないかという打診がありました。少なくとも30年以上はご無沙汰していた小説でした。それである夜、ちょっと読んでみようと思って、腰をおろしたんです。結局途中でやめられなくて、朝の3時か4時頃までかかって、最後まで読んでしまいました。読んでいるとそれだけの推進力といいますか、執筆のエネルギーが伝わってきて、一瞬たりとも目を離せなかったんです。この本を書いた当時、32歳で、結婚もしていないし、子供もいなかったバルザックが、年老いた父と娘たちの関係をこんなにも容赦なく正確かつ的確に分析することができたのはいったいどういうことでしょう。・・・集団的な再評価というのも時にはありますが、個々人による再評価という得がたい体験もあるんですね。夜、忘れていた一冊をふと手に取ったときに、誰でもが経験するような」。
私がどうしても好きになれない『ハムレット』と「モナ・リザ」、そして、私が大好きな「白貂を抱く貴婦人」と『ゴリオ爺さん』が取り上げられており、しかも私と同意見なので、嬉しくなってしまいました。