榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

『郵便配達は二度ベルを鳴らす』に対する深い読みに、目から鱗が落ちました・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1843)】

【amazon 『「街小説」読みくらべ』 カスタマーレビュー 2020年8月9日】 情熱的読書人間のないしょ話(1943)

アメリカフジのアメジストフォールという品種(写真1)、ヤマハギ(写真2)、サルヴィア・スプレンデンス(写真3、4)、イソトマ・アクシラリス(写真5)が花を咲かせています。ランタナ・カマラ(シチヘンゲ。写真6~9))は、咲き進むにつれ花色が変化していきます。

閑話休題、『「街小説」読みくらべ』(都甲幸治著、立東舎)は、著者が時を過ごしてきた8つの街を舞台にした小説を論じるという珍しい形式を採用しています。

ロサンゼルスが舞台の、ジェームズ・M・ケイン『郵便配達は二度ベルを鳴らす』の論評には、目から鱗が落ちました。脱帽です。「ロサンゼルス文学の古典と言われるこの作品は、白人とそうでない人たちの境界線の物語である。フランクは逞しく金髪の若者で、フラフラと旅をして回っては、いろんな場所でちょっとした仕事をして暮らしている。メキシコとの国境地帯で勝手にトラックに飛び乗った彼は、見つかって道端で下ろされる。そのときにはなんとかロサンゼルス郊外まで北上していた。彼が目をつけたのはちょっとした安食堂だ。ギリシア人の小男がやっているここに入った彼は、金もないのに次々と注文をする。そのときには、ちょっと皿洗いなど手伝えば切り抜けられるだろう、なんて考えている。けれども彼の気持ちを変えたのは、コーラの存在だった。どうしてこの店に、こんなにセクシーな白人女性がいるのか。聞けば彼女はアイオワ州デモインの出で、地元の美人コンテストで優勝し、一旗揚げようとしてハリウッドに来た。だがちょうどサイレントからトーキーの切り替えの時期で、女優になり損ねたのだ。仕方なく食堂のウェイトレスをしていた彼女を救ったのが、このギリシア人だった。彼の妻となることでコーラは貧しさから逃れられた。けれども今は後悔している。何しろ彼を生理的に受け付けられない。まだある。彼の子を産んでしまえば、自分は白人から滑り落ちて、有色人の仲間になってしまうのだ。人種を巡る夫婦の亀裂の真ん中に現れたのが、白人の流れ者であるフランクだ。コーラとフランクはたちまち愛し合い、ギリシア人を始末することを計画し始める。風呂場での一度目の試みは失敗したものの、サンタ・バーバラで成功し、運良く無罪を勝ち取る。けれども運は続かなかった。いつ裏切るかわからない、と互いを疑いだした二人は苦しい日々を送る。結婚することで事態を打開しようとするが、交通事故に遭って、すべてを失ってしまう」。

「この作品の核になっているのは、白人でなくなることの恐怖だ。これは日本に住んでいるとわかりにくい。19世紀半ばの奴隷解放宣言以降も延々と人種差別が続いてきたアメリカ合衆国では、白人であることがそのまま、まともな人間であることを意味してきた。だからこそ、多くの移民たちが差別と低賃金労働に耐えながら、なんとか白人の仲間に入れてもらおうと死にものぐるいで努力をしてきた。・・・(フランク、コーラ、ギリシア人の)三人とも白人とそれ以外の境界線に位置することがわかる。そして他の人を押しのけて、なんとか白人のなかに入れてもらおうとしてあがくのだ。そこでコーラが思いついたのがこれだ。ギリシア人を殺して金と店を奪う。そしてフランクと結婚して彼との子供を産む。こうすれば、血統と経済力の両方が手に入る! もちろんそううまくはいかない。・・・彼らは破滅する。もちろん、白人であろうとすることで人間の心を失ってしまった彼らに、平安などあろうはずもない」。

原作を読み、映画も見たというのに、コーラが放つ噎せ返るようなエロティシズムに気を取られて、人種差別という側面には全く気づかなかった己の不明を恥じるばかりです。

国立(くにたち)が舞台の、多和田葉子『犬婿入り』は、このように紹介されています。「突然、みつこ先生のところに犬男の太郎がやってくる。太郎は突然みつこ先生の肛門を舐め、延々と臭いを嗅ぎ、彼女と交わったあと急にもやしを炒め始める。部屋を掃除しながら蜘蛛の巣をどんどん食べる。美しいみつこ先生の顔をろくに見ない。彼女は普通の男にない太郎の魅力に夢中になる。・・・太郎から、臭いで多くのことを知るやり方を学ぶ。そして自分の感情が変わると、自分の体臭も変わることに気づく。彼女はそうやって、自分のなかに秘められていた動物的な感覚を目覚めさせるのだ」。

こう書かれては、『犬婿入り』を読まないですますわけにはいきません。早速。入手しなければ。