高峰秀子の内助の功、断捨離、夫婦論・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1904)】
千葉・流山の「梅の花・おおたかの森店」で、女房の誕生日祝いをしました。庭、料理、接遇――落ち着ける食事処です。セイヨウキョウチクトウが赤い花を付けています。アサガオが咲き始めました。
閑話休題、『高峰秀子の反骨』(高峰秀子著、河出書房新社)は、例によって、歯切れのいいエッセイのオン・パレイドです。
55歳時の「二十五年間続いた夫の原稿の口述筆記」には、こういう一節があります。「――その日の撮影の仕事を終えて帰っても、高峰秀子には家でまたひとつ大きな仕事が待っている。夫が書いた原稿の清書、あるいは口述筆記だ。一時間のテレビドラマの場合、二百字詰め原稿用紙で百六十枚くらいだからたいへんな手間である。口述筆記となるとまた別の苦労が加わる。口に筆が追いつけずに聞き返したり『ちょっと待って!』といったりすると、夫の思考が中断することになるので、それがまた彼女の気持ちの負担になってしまうのだ。だがこの口述筆記は松山さんと結婚してこのかた、二十五年間、つづけられてきた。<でも恐ろしいもんでね、私は小学校もあまり行ってないし、字を習ったこともないんだけど、二十五年書いてると覚えますね。松山が『あの字はどうだっけ?』って聞きますよ>。――毎晩、きまって十一時五十分ころになると、松山さんが仕事にひと区切りをつけて書斎から出てくる。そしてお風呂に入ったあと夫婦の夜食がはじまる。<私はおかずを作りまして、日本酒をつけまして、お待ちしておりまして・・・(笑)。それから一時半ごろまでグダグダとやるわけです>」。
62歳時の「結局手元に残った器は・・・」には、高峰らしさが横溢しています。「まず処分したのは、何組ものセットの器と銘々盆、百三十ピースのディナーセットなど。それだけでもう、ガタッと数が減りました。もううちはふたりだけの生活。お客様が来ても、ふたりほど。そんなセットはいりませんからね。・・・結局手元に残ったのは、李朝の茶碗二つ、白磁の皿一枚と、一つ二つと買っていったもの。そして、ふたりだけの生活に合う大きさの皿や鉢など。・・・自らを評すると、サッパリしていて、しつこいの。モノに執着はしないんだけど、好みが強い。なんでもよくではない。自分の好きなものがいいし、突き詰めていくのね」。
66歳時の「自分の許容範囲は自分で決める。」では、夫婦論が語られています。「夫婦なんて、どっか二つか三つ、一番大事なところが似通っていれば、もつんじゃない? うちは両方わがまま、頑固、きれい好き。あとは食べるのがふたりとも好きで、わりに寝坊だってのも似てるかな。生活って、小さなくだらないことの積み重ねだもの」。