榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

井上ひさしの社会とことばに関するエッセイ集・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1912)】

【amazon 『社会とことば』 カスタマーレビュー 2020年7月9日】 情熱的読書人間のないしょ話(1912)

チョウセンアザミ(アーティチョーク)が薄紫色の花、フロックス・パニキュラータ(宿根フロックス、クサキョウチクトウ)が赤紫色、薄紫色、白色の花を咲かせています。ヨーロッパキイチゴ(ヨーロピアン・ラズベリー)の実が黒く熟し始めています。

閑話休題、エッセイ集『社会とことば』(井上ひさし著、岩波書店)を読むと、井上ひさしの社会とことばに対する関心の深さが、よく分かります。

「『押しつけられた』のか、『戻ってきた』のか」では、憲法に対する井上の姿勢が明快に示されています。「『日本国憲法は、当時の占領国アメリカによって押しつけられた憲法だから、日本人の手で改めて自主憲法を定める必要がある』――これが、自由民主党の結党以来の悲願ですが、愚かな話だなあ、なによりも私たちの先達たちをバカにしていますね。日本国憲法の三本柱はなにか。いまさら書くまでもない常識ですが、その三つとは、平和主義と国民主権と人権尊重の三原理です。そしてこの三原理がどんなに値打ちのあるものかについては、とうの昔から日本人によって唱えられてきました。それなのに、この三つの原理が『外から押しつけられた』と、平気でいう神経がわからない。日本人をバカにしてはいけません」。井上の主張を支持します。

「長生きしませんか」には、こういう一節があります。「ドストエフスキーじゃないが『自分はいずれ死ぬもの』という視点で世の中を見渡せば、どうせ死ぬなら、もっとゆっくり人生を生きて、自由を満喫して死のう、という大悟達を得るはず。小さな権力を握ろうとあくせくしても、いずれは、骨になり灰になる身、あくせく生きる手合いに、憐みの情さえわいてくるというものだ。われわれは無知蒙昧なる輩、だらだらと、だらけて長生きしよう。すべてを少数の権力者にまかせてしまおうではないか。エライ人に、七面倒なことは委せてしまうのさ。エライ人は勝手にあわてふためいて早死すればよろしい」。このように、うまくいけばいいのですが・・・。

「保険の常識も通用しない原発の危険性」は、説得力があります。「事情通の語るところでは、世界各国が原発の建設を中止せざるを得ないのは、世論の高まりによるところがもとより大、しかし何番目かの理由に原発の再保険がつかないということがあるのではないか、とのことだ。巨大な危険を分散消化するために国際的な再保険システムがはたらいているのだが、そのシステムが機能しなくなりつつあるらしい。『危険のあるところに保険あり』という業界の格言が通用しなくなったのである。あまりにも危険が大きすぎると、それはもう危険とは呼ばない、破滅と呼ぶ。そこでこれからありうるたった一つの保険は、われわれ一人一人が保険料として反原発の行動を積み立てて行くこと。積み立て期間は相当長期にわたるはずだが、しかし満期には地球が還ってくる」。

「辞書づくりに必要なもの」には、妙に納得してしまいました。「英国の国民的文化遺産といわれる『オックスフォード英語辞典』は、例文を一般からも募集していたが、毎週のように、編集部へ、古今の名作から抜き出した適切この上ない例を次つぎに送ってくる人物がいた。編集主幹のマレーがお礼を云いに訪ねてゆくと、その人物は精神病院に収容されていた。辞書づくりには、このように狂気にも似た情熱と辛い重労働が必要なのだ」。

「亀の手紙」は、勉強になります。「吉田松陰や西郷隆盛に強い影響を与えた儒学者の佐藤一斎(1772~1859年)が、大いに激賞した手紙がある。馬買いの亀という男の賃金催促状だ。<一金三両、ただし馬代/右馬代、くすかくさぬかこりやどうぢや、くすといふならそれでよし、くさぬといふならおれがゆく、おれがゆくならただおかぬ、かめのうでにはほねがある>。小学館の『古語大辞典』を引いたら、『くす』とは『よこす』という意味だった。なるほど、辞典のおかげでわたしたちにも名文とわかる」。