削ることが文章をつくる・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3199)】
不鮮明だが、ルリビタキの雄の若鳥と思われる個体(写真1、2)、ツグミ(写真3、4)、シロハラ(写真5、6)をカメラに収めました。ウメ(写真7~15)が咲いています。因みに、本日の歩数は11,027でした。
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閑話休題、『文章読本』(吉行淳之介選、日本ペンクラブ編、中公文庫)に収録されている文章論で、とりわけ印象に残ったのは、●佐多稲子の「わたしの文章作法」、●三島由紀夫の「エロティシズムの描写はどこまで許されるか」、●島尾敏雄の「削ることが文章をつくる」――の3つです。
●佐多稲子
「豊富な、あるいは深みのある文章を書きたい、などとねがって、そして自分を笑ったというのも先きに書いたが、文章が優先するなどということもないことだろう。文章が浅薄なら、私自身の思考や、人間性に深みがないことなのである。だから、すべてはもはやさらしていると云わざるを得ない。ひとの文章を読めばそれがわかるから、自分のこともわかる。たしかに文章が優先するということはない。文章ばかり考えていても何も出てこない。何を書こうとしているか、に思いを返したとき、文章が出てくる。それはたしかに云えることだけど、しかしまた、文章を書き直しているうちにおもっていること、考えていることに再発見なり、突っ込みを見いだすこともあることなのだ。書きながら考えるということは、だれにでもある。書こうとしているものはまず私にあるのだけれど、それをより鮮明にと書き直したり消したり書き加えたりしているうちに、はじめに書こうとしているものに何かが加わってゆくとき、自分の浅さにあわてたりする。・・・自分の書こうとおもうものに、取っ組み合ってゆくしかない」。文章を書くときの覚悟が語られています。
●三島由紀夫
「文章は抽象的であればあるほど猥褻に近づくのであります。この確信のもとに、ラクロは『危険な関係』という抽象的小説を書き、観念的なものが一番猥褻であるという真理を実証しました。ですからもし法律と民衆がもっと聡明であったら、チャタレイ(夫人)を罰するより先に『危険な関係』を罰するでありましょう。しかし、その猥褻さは高度の理知を媒介にした猥褻さでありますから、一般性がないだけであります」。三島がここまで言うのだから、『危険な関係』を再読する必要がありますね。
●島尾敏雄
「もともと素材のことばは空間に所在にちらばっているのだから、それをつかみどりして原稿紙に字としてならべ、さて、そのなかから文章を削りさがしあてるわけだ。なんと言ったらいいか。実際は文章は空間のなかにかたちをこしらえてできあがっているが、それはわれわれには見えないだけのことゆえ、余分のごみをこそぎおとし、追い払い流し去って、それをあらわそうとする仕事を担当するのが、小説書きというものだ、などと考えはじめだした。こそぎおとし、追い払い、流し去る仕事、つまり削ることが文章をつくる、いや文章をあらわす、ことにほかならず、つまりそのことだけが私が文章とかかわることのできる範囲だなどと考えはじめたのだった」。私は小説家ではないが、妙に納得してしまいました。