榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

自分でやれることを自分でやることが命を絶やさない方法だと固く信じている、ねじめ正一の母・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2024)】

【amazon 『おふくろ八十六、おれ還暦』 カスタマーレビュー 2020年10月29日】 情熱的読書人間のないしょ話(2024)

中型の真っ黒いチョウが草藪の奥へ飛んでいきます。草藪を掻き分けて追いかけ、漸く、クロコノマチョウの雄(写真1、2)をカメラに収めることができました。私にとっては3年ぶりのクロコノマチョウとの遭遇です。ツワブキの周りを、吸蜜しようとホソヒラタアブ(写真3)が飛び回っています。ノハラアザミでトラマルハナバチ(写真4、5)が吸蜜しています。あちこちで、ハラビロカマキリ(写真6、7)が日光浴しています。オオカマキリの卵鞘(写真8)を見つけました。タチバナモドキが実を付けています。

閑話休題、エッセイ集『おふくろ八十六、おれ還暦』(ねじめ正一著、中公文庫)には、著者の母・みどりの魅力が詰まっています。

「私の母親は今年八十四歳になる。戦後すぐに結婚し、中央線高円寺駅の北口で父親と乾物屋を始めたのであるが、父親は俳句に夢中で商売に身が入らず、ほとんど一人で店番を頑張ってきた。店番というのはまさしく立ち仕事である。・・・歳を重ねるたびに母親の膝は悪化していった。今は右手にマヒが出てきて、両膝ともに悪くなり。歩いての外出はできなくなった。それでもリハビリを兼ねて、自分の食べる物ぐらいは自分で作ったり、洗い物をしたり、洗濯物を干したりしている。縫い物もする。・・・母親は、これもみんな『リハビリ! リハビリ!』と自分に言い聞かせながらやっている。母親は二世帯住宅で弟夫婦と暮らしているが、私も一週間に二度ほど母親に会いにいく」。

「考えてみれば、私の母は前向きな人だ。父の看護、介護を、合わせて二十三年間やった。・・・手助けもほとんどなしで二十三年間も介護したというと、気丈で献身的な妻像が思い浮かぶが、母はそんなご立派な女性ではない。母は自分のペースで父の介護ができたから二十三年間もやれたのだ。・・・そういう人間なので、母は自分が病気になったときも、弟や私の言うことよりも自分の考えを優先する。もちろん医者よりも優先する」。

「右手と右足にマヒがあり、膝が悪い母親の行動はゆっくりである。人の手を借りるのを厭がり、なるべく自分で全部やろうとするから、時間がかかる。針に糸を通すだけだって一時間ぐらいかかるのだ。・・・母親の日常は、一事が万事こんな具合だ。しかし母親は『自分でやれることはやる』という姿勢を崩さない。時間はいくらかかってもかまわない、自分でやれることを自分でやることが命を絶やさない方法だと固く信じている。あんまり時間がかかるので、見かねた私や弟が少しでも手を出そうとすると、『自分でやるから手を出さないでくれ』と退ける。・・・母親は、(何でもスイスイできた昔の自分とは違う)今のみどりさんを引き受けている。自分の命は最後の一滴まで自分のものだという自負がある。そんな『みどりさん』を、私はあきれつつもちょっぴり誇らしく思うのである」。

「それきり母は(相次いで急逝した)伯母(母の姉)、叔父(母の弟)のことを口にしなかった。あえて語るのをやめたというのではなくて、自分が生きていくので精一杯、いつまでもくよくよしている暇はないという感じであった。その証拠に、母は私の帰り際に『正一、<平家物語>を暗唱したいから今度くるときに平家物語の本を持ってきておくれ。全部、暗唱することに挑戦したいんだ』と頼むのだ。この夏の暑さの中に取り残されても、私だけはボケずに生きてやるという母の逞しさを感じた」。

私事に亘るが、94歳なのに、何事にも前向きで明るく、頭も体もピンピンしている母は、老境を彷徨っている私の理想像です。母とタイプは違うが、前向きで逞しいという点では同類のみどりさんに親しみを感じている私です。