榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

清少納言の息吹が身近に感じられる一冊・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1839)】

【amazon 『要説 枕草子(増訂版)』 カスタマーレビュー 2020年4月26日】 情熱的読書人間のないしょ話(1839)

囀るウグイスの雄の姿を見失って慌てる私に、ほら、あそこ、カメラを貸して、と撮影助手(女房)。戻されたデジカメには、何と、ウグイスがばっちり写っているではありませんか。バード・ウォッチャーを自任している私の面目丸潰れです(涙)。ハンカチノキの白くなった総苞が風に揺れています。名前の分からない白い花を見かけ、向かいの家で庭仕事中の女性に尋ねたところ、わざわざ咲いている家の女性に確認してくれ、これもクレマチスと判明しました。あちこちで、さまざまな色合いのクレマチスが咲き競っています。因みに、本日の歩数は12,846でした。

閑話休題、ふと、久しぶりに、『枕草子』を読み返したくなって、書斎の書棚から『要説 枕草子(増訂版』(日栄社編集所著、日栄社)を引っ張り出してきました。

「・・・は」または「・・・なるものは」という題詞を掲げて、それに類するものを列挙していく段で、清少納言の得意技が最も顕著に発揮されていると、私は考えています。

例えば、時節外れ、期待外れでうんざりさせられるものを挙げている「すさまじきもの」の段は、こんなふうです。

「かならず来るはずの人のところへ、牛車を迎えにやって待っていると、車のはいって来る音がするので、『あの人であるらしい』と人々が出て見ると、(車は)車小屋にずんずん引き入れて、轅をぽんとおろすので、『どうだった?』とたずねると、『きょうはよそにいらっしゃるといってお越しになりません』などといって、牛だけを(車からはずして、小屋から)引き出して立ち去る、(これも興ざめなものである)。また、家に迎えた婿さんが通って来なくなってしまったのは、まことに興ざめなものだ。(その婿を)、かなりの身分の人で宮仕えをしている人のところにとられて、気はずかしく思って(何も言えずにじっとして)いるのも、まことにおもしろくない。・・・(愛する)女を迎えにやる男の場合、(女が来なかったとしたら)ましてどんなに(やりきれない)だろう。待つ人のある家で、夜が少しふけて、そっと門をたたくので、胸が少しどきどきして、人を出して尋ねさせると、待ち人とは別のつまらぬやつが名のって来たのも、どう考えても期待はずれで、興ざめだというどころではない」。同感すると同時に、思わず笑ってしまいました。

「地方官の任命式に官職につけなかった人の家、(これも期待はずれで、興ざめなものだ)。今年はきっと(任官できるだろう)と聞いて、以前この家に仕えていた人たちで、今は散り散りになっている者や、いなかめいた所に住んでいる者たちなどが、みな集まって来て、(一門や知友の)出たりはいったりする車の轅もぎっしりとすきまもなく見え、(主人が任官祈願のために)寺院や神社に参詣するお供に、われもわれもと出て勤めぶりを示し、物を食ったり酒を飲んだりしてわいわい騒ぎあっているが、(任官式の)終わる明け方まで、(任官通知の使者が)門をたたく音もしない。・・・ほんとうに(主人の任官を)頼みにしていた者は、たいそう嘆かわしいと思っている。夜が明けると、今までぎっしり集まっていた者たちも、ひとりふたりとこっそりと逃げるように出て行ってしまう」。会社勤め時代の私にも、人事発令の季節にそわそわした経験があるので、他人事とは思えません。

憎らしいものを取り上げた「にくきもの」の段も、身につまされます。

「にくらしいもの、急用があるときに来て長話をする客。軽くあつかってもよい人ならば、『あとでまた・・・』といって追いかえすこともできようが、なんといっても、気がねをしなければならないような人の場合は(そうもいえず)、ほんとににくらしくてむしゃくしゃする」。

「他人の幸福をうらやましがったり、わが身の不幸を嘆いたり、他人のことをとやかく言ったり、ほんのちょっとした事をも知りたがり聞きたがって、(それを)言い聞かせないのを恨んで悪口を言ったり、またちょっと聞きかじったことを、自分がもとから知っていることのように、他人にも図にのって話す、それも、たいそうにくらしい」。

「(人目を)忍んでこっそり通って来る(男の)人を見つけてほえる犬(は、にくらしい)。(人の隠れるような場所でない)無理な(狭い)場所に隠して寝かせてある(男の)人が、(こちらの気も知らず)いびきをかいているの(も、にくらしい)」。

「自分の愛している男が、以前に関係した女のことを、ほめて話し出したりなどするのも、年月のたったことではあるが、やはりにくらしい。まして現在関係しているのであったら、(それこそどんなだろうと、そのにくらしさは)思いやられる」。

『枕草子』の原文と口語訳を読むと、清少納言の息吹が身近に感じられます。観察眼が鋭く、物言いがストレートな清少納言が近くにいたら、いろいろとやり込められそうだが、猫被りの紫式部とは違って、清少納言は親しくなれば頼り甲斐がある人のような気がしてきました。