榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

ロッキード事件で田中角栄を転落させたのは、ヘンリー・キッシンジャーだった・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2134)】

【読書クラブ 本好きですか? 2021年2月15日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2134)

桃の節句が近づいてきましたね。

閑話休題、『ロッキード疑獄――角栄ヲ葬リ巨悪ヲ逃ス』(春名幹男著、KADOKAWA)は、3つの点で注目に値する一冊です。

著者は、ロッキード事件を3段階に分けて考えています。「第1段階『事件の発覚』。同業他社トップによる想定外の証言で、ロッキード社の秘密販売工作が発覚、米上院外交委員会多国籍企業小委員会(チャーチ小委)の調査開始。第2段階『ワシントン連邦地裁決定』。米証券取引委員会(SEC)が、政府高官名入りの文書をロッキード社から入手。第3段階『日本で事件が表面化』。東京地検特捜部がロッキード文書を入手して本格捜査開始、約3カ月半後に田中角栄逮捕へ」。

注目すべき第1点は、ロッキード事件に関する数々の陰謀論が見事に論破されていること。

さまざまな陰謀論の中で、最も広く流布しているのは、本書を読むまで私も信じていた「資源外交説」(日本独自の資源供給ルートを確立するため、田中が積極的な『資源外交』を展開、米国の虎の尾を踏んだ)でしょう。

「田中がアメリカ政府、またはエネルギー資本の逆鱗に触れたのが事実であれば、その首謀者や動機、証拠についても取材してしかりだが、そんな記述は見当たらない。・・・田中角栄が首相在任中、エネルギー源の自立に向けて奔走したのは事実だ。しかし田中が、ソ連の油田開発についても、ウラン濃縮事業についても、アメリカ側に共同開発や出資を提案し、協力を求めていたことはあまり知られていない。・・・田中が提案した(シベリア開発)プロジェクトが米国の『逆鱗に触れた』という事実はまったくない。逆に、日本は『デタント』という米ソ戦略の『ニカワ役』を演じていたのだった。・・・田中が、ウラン濃縮事業への参加を積極的に進めたことについても、田原(総一朗)はアメリカが警戒したと指摘している。しかし、現実はまったく逆だった。ウラン濃縮事業への日本の参加を先に提案したのは、アメリカ側だったのだ。その事実を、ニクソン大統領図書館所蔵の国務省文書が詳述している」。

第2点は、ロッキード事件の「巨悪」として田中角栄を転落させたのは、ヘンリー・キッシンジャーだったと論証されていること。さらに、キッシンジャーがそれを仕組んだ理由も明らかにされていること。

「田中角栄はなぜ葬られたのか。・・・長年にわたる取材で、実は田中角栄は、日中国交正常化以後、首相在任中の外交課題で繰り返しキッシンジャーらの激しい怒りの対象になっていたことが分かった。怒りは雲散霧消することなく、憎しみに深化していったとみられる。キッシンジャーが、田中の(ロシアとの北方領土返還)外交に復讐していたことも分かった。その事実は、今に至るも、日本の外務省にもまったく知られていない」。

「田中を葬ることにつながる、キッシンジャーの『動機』を示す文書記録は多数残されていた。対立は『日中国交正常化』から、日本の『中東政策』『日ソ関係』などの外交分野に広がっていた」。

「キッシンジャー大統領補佐官は、その(機密文書の)中で、田中角栄とみられる日本人らを烈火の如く『ジャップは上前をはねやがった』と罵っている。キッシンジャーはなぜ、そんなに怒っていたのか。『上前をはねた』とは、一体どういう意味なのか。この文書こそ、まさにキッシンジャーの激しい『怒り』を示した文書だったのだ。しかも、田中による日中国交正常化を厳しく非難した言葉だった。この文書からスタートして、米国立公文書館やニクソン大統領図書館、フォード大統領図書館などで、田中首相在任中の米国の文書を渉猟した。長年の取材で分かったのは、キッシンジャーとニクソン大統領が、政治家田中の外交政策を嫌悪していたことだった。『日中国交正常化』だけではなかった。第四次中東戦争に伴う石油ショックで、田中は日本外交の軸を『アラブ寄り』に転換し、さらに独自の日ソ外交を進めた。日ソ外交で、田中は今も知られていない復讐をされていた」。

「田中角栄が決断した日中国交正常化は、米国より二歩も三歩も前に飛び出ていた。キッシンジャーが『上前をはねやがった』というのは、まさにこのことだとみられる。米国がニクソン訪中をしたので日本は国交正常化ができたが、(日本の)正常化は(アメリカの戦略を大きく超えていて)やり過ぎだというのだ」。

「実は、田中が外交的成果を出すのを阻止するため、キッシンジャーがひそかにソ連側に働きかけ、ソ連も同意して、北方領土問題が進展を阻まれていた事実が米外交機密文書から明らかになった。米ソが結託し、仕組まれた前代未聞の外交劇だったのである。これまでまったく知られていなかった。日本の外務省も知らなかった」。

「田中の将来の『カムバック』を阻止するため、キッシンジャーは(ロッキード事件の政府高官が田中であることを日本側に伝えることで)田中の刑事訴追が可能になる状況を整えた」。

「(キッシンジャーと田中の)二人とも、強い上昇志向と自己顕示欲を持つ点は共通していた。しかし、キッシンジャーが違うのは、盗聴やだまし討ち、裏切りといった『禁じ手』を使って、ライバルや邪魔者を押しのける強引な人物だったことだ」。

第3点は、ロッキード事件の真の「巨悪」の正体が暴かれていること。

「『巨悪』のグループには、米国の軍産複合体のほか、米中央情報局(CIA)も含まれている。日本の元戦犯容疑者たちは、CIAの協力者としても暗躍したのである」。

読了後、田中角栄という卓越した政治家をロッキード事件で失ったことは、日本にとって大きな損失であったと実感させられました。「田中角栄は首相就任時に、次のような外交戦略を立てた。『まずアメリカとの関係を固め、その上で日中の国交正常化という一大偉業をなしとげ、西欧の雄である仏、英、西独との誼を強固にした上で、最も厄介なソ連との関係の改善を図ろうとするものであった』。田中首相秘書官を務めた木内昭胤(元駐仏大使)は、そう記している」。

「米国の戦略に乗っても、日本に石油が供給される保証はなかった。日本経済を預かる最高責任者として、田中が石油の確保を最優先したことは決して責められない。戦後の日米外交で、日本側が『ノー』と言って自主外交を貫いた例は非常に少ない。1950年6月、吉田茂首相はダレス国務長官が求めた『再軍備』に、事実上『ノー』と言ったことが知られている。1994年2月、細川護熙首相は『日米包括経済協議』でクリントン大統領と折り合うことができず『ノー』を言った。・・・しかし、田中角栄もノーと言っていたことはあまり言及されていない。その上、首相がアメリカ側と激論を闘わせたのは初めてだとみられる」。

説得力のある、読み応え十分な一冊です。