それぞれの性的生活が赤裸々に綴られた56歳の夫の日記と、45歳の妻の日記・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2142)】
クリスマスローズ(写真1~7)の花弁に見えるのは萼です。オウバイ(写真8、9)が咲いています。
閑話休題、若い時、『鍵』(谷崎潤一郎著、中公文庫)を読むのを途中で止めて放り出したのは、56歳の夫が妻に盗み見されることを想定しながら綴った日記も、交互に示される、これまた夫に盗み見されることを想定しながら書き継いだ45歳の妻の日記も、性的生活の微に入り細に入る描写が何とも赤裸々で、辟易してしまったからです。
夫のカタカナ表記の日記は、こう始められています。「一月一日。・・・僕ハ今年カラ、今日マデ日記ニ記スコトヲ躊躇シテキタヤウナ事柄ヲモ敢テ書キ留メルヿニシタ。僕ハ自分ノ性生活ニ関スルヿ、自分ト妻トノ関係ニツイテハ、アマリ詳細ナヿハ書カナイヤウニシテ来タ。ソレハ妻ガ此ノ日記帳ヲ秘カニ読ンデ腹ヲ立テハシナイカト云フヿヲ恐レテヰタカラデアツタガ、今年カラハソレヲ恐レヌヿニシタ。妻ハ此ノ日記帳ガ書斎ノ何処ノ抽出ニ這入ツテヰルカヲ知ツテヰルニ違ヒナイ」。
これに続く妻の1月4日の日記には、こういう一節があります。「実は私も、今年から日記をつけ始めてゐる。私のやうに心を他人に語らない者は、せめて自分自身に向つて語つて聞かせる必要がある。但し私は自分が日記をつけてゐることを夫に感づかれるやうなヘマはやらない。私はこの日記を、夫の留守の時を窺つて書き、絶対に夫が思ひつかない或る場所に隠しておくことにする。私がこれを書く気になつた第一の理由は、私には夫の日記帳の所在が分つてゐるのに、夫は私が日記をつけてゐることさへも知らずにゐる、その優越感がこの上もなく楽しいからである。・・・一昨夜は年の始めの行事をした。・・・あゝ、こんなことを筆にするとは何と云ふ耻かしさであろう」。「年の始めの行事」とは、姫始めを意味しています。
この夫婦に、一人娘の敏子と、その求愛者・木村が絡んできます。
1月13日の夫の日記。「アノ晩僕ハ、木村ニ対スル嫉妬ヲ利用シテ妻ヲ喜バスヿニ成功シタ。僕ハ今後我々夫婦ノ性生活ヲ満足ニ続ケテ行クタメニハ、木村ト云フ刺戟剤ノ存在ガ欠クベカラザルモノデアルヿヲ知ルニ至ツタ」。
4月17日の妻の日記。「私は、今日の日曜日をいかにして過すかは前から極めて置いたのであるから、その通りにして過した。私は大阪のいつもの家に行つて木村氏に逢ひ、いつものやうにして楽しい日曜日の半日を暮らした。或はその楽しさは、過去の日曜日のうちでは今日が最たるものであつたかも知れない。私と木村氏とはありとあらゆる秘戯の限りを尽して遊んだ。私は木村氏がかうじて欲しいと云ふことは何でもした。何でも彼の注文通りに身を捻ぢ曲げた。夫が相手ではとても考へつかないやうな破天荒な姿勢、奇抜な位置に体を持つて行つて、アクロバツトのやうな真似もした(いつたい私は、いつの間にこんなに自由自在に四肢を扱ふ技術に練達したのであらうか。自分でも呆れる外はないが、これも皆木村氏が仕込んでくれたのである)。・・・私は『夫』を心から嫌つてゐるには違ひないが、でも此の男が私のためにこんなにも夢中になつてゐるのを知ると、彼を気が狂ふほど喜悦させてやることにも興味が持てた。つまり私は、愛情と淫慾とを全く別箇に処理することが出来るたちなので、一方では夫を疎んじながら、――何と云ふイヤな男だらうと、彼に嘔吐を催しながら、さう云ふ彼を歓喜の世界へ連れて行つてやることで、自分自身も亦いつの間にかその世界へ這入り込んでしまふ」。
夫の死後に書かれた、6月9日、6月10日、6月11日の妻の日記には、実に恐ろしいことが書かれています。
今回、最後まで読み通して感じたことは、『鍵』は、谷崎潤一郎が渾身の力を込めて書いた推理小説なのではないか、ということです。私の妄想に過ぎないかもしれませんが。