榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

老いを、プラトンやアリストテレスはどう考えたのか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2497)】

【読書クラブ 本好きですか? 2022年2月17日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2497)

キジバト(写真1)、ヒヨドリ(写真2)、ツグミ(写真3)、スズメ(写真4)をカメラに収めました。ツバキ(写真5)、クリスマスローズ(写真6)が咲いています。

閑話休題、『「完熟」の老い探究――プラトン・アリストテレス・キケロも悶悶』(瀬口昌久著、さくら舎)は、老いの時期をどう生きるべきかというテーマに取り組んでいます。

「西洋哲学の祖と呼ばれるプラトンは、主著『国家』の冒頭で、『老いは険しい道か、楽しい道か』と問いかけ、老年について論じました。プラトンは、老年になるとさまざまな欲望から解放され、自由と平和が与えられて、恵まれたときを迎えられると書いています。これに対して、アリストテレスは、老年になると心身が衰え、卑屈で臆病、自己中心的で心が狭くなる、希望のない不安な年代として老いを描きました。プラトンとアリストテレスという、古代哲学の最も重要な二人の哲学者が、ともに老年を哲学のテーマにし、しかも、まったく反対の老年論を導き出したのです」。

「この違いはどこからくるのか。元をただすと、アリストテレスは身体のあり方から魂を規定するので、たとえば男性と女性の魂や徳は違う、というふうに男女を区別する形になるのです。一方、プラトンは魂を基本として見るので、男女の区別は決定的ではないのです。だから哲人王だけでなく哲人女王もいるし、男性向きの仕事や女性向きの仕事とか、家事が女性に向いているなんて議論はナンセンス、といっている。プラトンは現代から見ると、いい意味でラディカル、斬新な思考の持ち主なのです」。「老い」に関しては、私はアリストテレスよりもプラトンの考え方に親近感を覚えます。

「彼らの老年論をうけて、古代では老年を主題とした哲学著作が数多く書かれました。キケロの『老年について』が有名ですが、同じタイトルの哲学の著作が、紀元前4世紀から後2世紀くらいのあいだに数多く書かれました。古代世界には、『老年の哲学』というジャンルがあったのです」。

ルクレティウスの『事物の本性について』を通して、死が論じられています。「老いは、ある個体から原子が奪われていくことによって進行しますが、生きものたちは相互に原子をやりとりして、世代交代をくり返し、生命の松明を受け渡していきます。生命は私有物でなく、過去から未来へと何世代にもわたって、自然が永劫にくり返す世代交代と新陳代謝のいとなみ――。そのような視点でとらえると、たしかに死の別の姿が見えてきます。われわれの生は、永劫に世代交代をつづける自然の連鎖のほんの一つにすぎず、われわれが老いる意味は、次に新たな世代を生み出すことにあるのです。生物は、次の世代のために老い、死んでいかねばならない。それによって世界の調和が保たれる。それもまた『よい』ことではないでしょうか」。

私を死の恐怖から解放してくれたエピクロスの思想を長詩『事物の本性について』にまとめたのがルクレティウスなのです。

プラトンは「徳」を重視しています。「ある程度の共通した魂のよさがないと、それぞれの個性が活きないのではないでしょうか。そういった徳をもたないと、社会的なよさは生まれないのではないかと思います。決して100パーセントの徳をもちなさいというわけではありません。でも、よい生き方を支える知恵を分けもっておかないと、それぞれの個性も活かされない。なぜなら、人間は脆く、崩れやすい存在だからです。・・・徳をもった生き方というのは、知的な部分によって他の部分がある程度うまくコントロールされている、調和のとれた状態だと考えることができます。そういったあり方をもたないと、それぞれの個性はうまく発揮できない。それぞれの社会的な役割とか家族の役割も、うまく発揮できない。そういう考え方です」。

「徳というとき、4つの基本的な徳――節度、正義、勇気、知恵という場合もありますし、それぞれの職種とかそれぞれの仕事の中での徳という言い方もできます。徳は誰にでもあるからです。ただし、徳は生得的に備わっているのかといったら、ちょっと違うでしょう。社会の中で、教育とか学習も含めて培われていくものだと思います。・・・国や行政のあり方、企業や農業の生産活動にまで広げて、広く徳ということを考えておかないといけないはずです。個人の問題に矮小化するのは、違うのではないかと思います」。