榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

敗戦直後の東京の「文学散歩」から見えてくるもの・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2202)】

【読書クラブ 本好きですか? 2021年4月24日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2202)

ドイツスズラン(写真1)、アマドコロ(写真2)、ヒアシンソイデス・ヒスパニカ(スパニッシュ・ブルーベル、シラー・カンパニュラータ。写真3)、ブルーベリー(写真4)、モッコウバラ(写真5)、クレマチス(写真6、7)、ボタン(写真8、9)、ジャーマンアイリス(写真10)、チューリップ(写真11~14)が咲いています。

閑話休題、『新東京文学散歩――上野から麻布まで』(野田宇太郎著、講談社文芸文庫)には、著者自身による敗戦直後の東京の「文学散歩」が綴られています。

「露伴の『五重塔』」には、こういう一節があります。「『五重塔』は露伴小説の代表作、すくなくとも最も人口に膾炙された名作と云える。主要舞台は谷中感応寺五重の塔である。感応寺は今の天王寺の日蓮宗時代の寺名であると云う。主人公のっそり十兵衛のモデルはこの墓畔の銀杏横町に住んだ頃の露伴が知っていた『倉』と云う実在の大工だという」。『五重塔』は私の好きな作品であるが、実在の人物が、あの大工のモデルだったとは!

「観潮楼跡」では、私の好きな森鴎外に出会うことができます。「団子坂は一名汐見坂とも云われた。森鴎外は明治二十五年一月三十一日に、坂上の、昔は太田ケ原といったその一角、本郷駒込千駄木町二十一番地に同町内の五十七番地から移って来て、新たに二階建書斎を増築し、坂の別名に因んでその二階家を『観潮楼』と名づけた。その以来鴎外の文名を慕う青年詩人や学者その他、この家を訪れる者のあとを断たなかったのは云うまでもない」。木曜会は漱石を慕う若手文学者たちが集ったことで有名であるが、この観潮楼を多くの後進が訪れたことももっと知られていいのではないか。

「『猫』を書いた家」は、言うまでもなく、夏目漱石が住んだ家です。「駒込千駄木町の焼け残りの一角の古い家である。その一番手前の左側に、如何にもがっちりとした平家建の家が、庭の囲いもとり毀したままに家の側面をさらけ出している。濡れ縁の廊下のついた居間や座敷まで表通りから見透しである。可成広い家だが、これが夏目漱石の『吾輩は猫である』をはじめ、『倫敦塔』『カーライル博物館』『幻影の盾』などの小品や『文学評論』などを書いて文壇に名乗りをあげたゆかりの家であり、また漱石より十年余り前に森鴎外が一年半ほど住んだ家であることは、一般の人々は気づかない。・・・この家ほど近代文豪に縁の深い家も亦他には殆どみられないことが判る.而も鷗漱の二文豪はお互いに尊敬し合いながら、上田敏の青楊会などで顔を合わせることはあっても、ゆっくり二人で歓談する機会は全くなかった」。尊敬し合っていたとしても、互いのライヴァル意識がそうさせたのではないか、と私は考えている。

本書のおかげで、野田宇太郎という人物の存在を知ることができました。