どのような凡書愚書悪書からも、摂取すべきものを十分に摂取し得る人は、最もすぐれた読書家である・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2204)】
自然観察仲間の樫聡さんの情報のおかげで、浮き巣で子育てをするカイツブリ(写真1~10)の番(つがい)をじっくり観察することができました。時折、キュルルルルというカイツブリの鳴き声が聞こえてきます。キジ(写真11~15)の雄をカメラに収めました。
閑話休題、敬愛する練達の読書家・書評家である谷沢永一が『人間通になる読書術・実践編』(谷沢永一著、PHP新書)で、絶賛している『書物』(森銑三・柴田宵曲著、岩波文庫)を手にしました。
森銑三と柴田宵曲の書物を巡るエッセイ集であるが、さすがに森の言葉は胸に響きます。
「どのような凡書愚書悪書からも、摂取すべきものを十分に摂取し得る人は、最もすぐれた読書家であらねばならぬ」。
「書物の問題は直ちにその著者の問題となる。良書を知ろうと心懸くる人は、まずよき著述家を知ることを心懸くべきである。そして己に適応した良書を知り、その著者の他の著述をも漁り読み、延いてはその著者の推奨するところの同時代の書物、または過去の書物を読む。かくしてその人の読書生活は、際限なく深められ、かつ拡められて行くであろう。それに依ってまた方面を異にする書物に対しても、良否の識別が容易に下されるようにもなって行くであろう。そしてまた別方面の良書を知り、それよりして更につぎつぎと良書をも知るに至るであろう。・・・私等もまた誠実な心を以て、常に良書を知ろうと心懸くべきである。そして良書を求める心が切実ならば、それに対して必ずや感応するところがあるであろう」。
「私の繰返して主張して置きたいと思うのは、書物愛護の精神の徹底である。書物愛護の精神を十分に把持しているならば、その精神を他へも及ぼして、天物を暴殄するようなことはすまじとも心懸けようし、人を愛敬する心持を自ら養うにも至るであろうし、延いては敬虔な心持をも持するに至るであろう。人間としてしみじみとした心持を有する人にもなるであろう。書物の愛好もそこまで行きたいものである。書物愛護の精神は、これを子供の内から植えつけたい」。