細川護熙が勇気づけられてきた言葉のアンソロジー・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2348)】
キカラスウリ(写真1)の花が咲いています。イチョウ(写真2、3)、クリ(写真4、5)の実がたくさん落ちています。アオイトトンボの雄(写真6)、アキアカネの雌(写真7、8)、ナツアカネの雌(写真9、10)、ノシメトンボの雄(写真11)、雌(写真12)、ウスバキトンボの雌(写真13)、ショウジョウトンボの雌(写真14)をカメラに収めました。今宵は、8年ぶりの中秋の名月=満月です。因みに、本日の歩数は11,050でした。
閑話休題、『明日あるまじく候――勇気を与えてくれる言葉』(細川護熙著、文春新書)は、著者が勇気づけられてきた言葉のアンソロジーです。
●欲無ければ一切足り、求むるあれば萬事窮す――良寛
「わたしが(良寛に)強く魅かれるのは、そのこれ以上ない孤独なたたずまいだ。ある詩では、冬の夜、書もなくしんしんと降る雪の音を聞きながら、古窓の下の線香から立ち昇る煙を眺めるともなく眺めている。七十歳を過ぎて、すでにそう遠くないところに死が迫っているその頃に詠んだものだ。・・・孤独と貧こそわが生涯と思い定めた良寛さんは『欲無ければ一切足り、求むるあれば萬事窮す』とも詠っている。意味するところはそのとおりだと思うが、そこまで徹するというのは、ちょっとやそっとの決定(けつじょう)でできるものではない。半年も雪に埋れる越後の山中で、何十年も、自ら選んで独り暮した超人的な意志の力――『手まり上人』といわれたやさしさの背後にある想像を絶するこの人の苦闘を思わずにはいられないが、しかしながら飄々とした良寛さんには悲壮な苦行僧の面影はまったくない。わたしはそこに打たれ、圧倒される」。良寛に比べるなどおこがましいが、私の場合は、組織から引退し欲がなくなったら、悪夢にうなされることがなくなりましたた(笑)。
●幕が下りたあとまで喝采を望む者はバカだ――孫子
「出処進退こそ、その人物をみる一番のメルクマールだが、中国人の処世哲学のひとつに『功成り名遂げて、身退くは天の道なり』というのがある。老子の思想が基礎となったものだ。・・・兵法家の孫子が引退して田舎に引っ込み、余生を楽しんでいるところへ帝王の使者がきて、再び表舞台へひっぱりだそうとしたとき、孫子はきっぱりとこう言った。『・・・ある時期には大変有能で、大いに役に立つ人物でも、その時期が過ぎれば、もう用をなさないこともあります。・・・わたしは世間を忘れたいし、世間からも忘れられたいのです。人間として生まれた以上、命のある限りは生きていかねばなりませんが、今のわたしは、できるだけ世間との接触面を小さくして、自らの生をつなぐだけの接触に限りたいと思います』と」。見事な出処進退を実行してみせたのが、細川護熙ですね。
●教養とは思いやり――孔子
「『夫子の道は忠恕のみ』――『論語』里仁篇の有名な章句である。『忠』とはまごころ、『恕』とは思いやりのことで、これが孔子の道を貫く原理で、人の身になってものを考え、人のことをわが身のこととして思えということだ。・・・ほんとうの教養とは思いやりだと改めて思う」。「教養とは思いやり」とは、私には新鮮な言葉で、胸に沁みました。