榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

君は、『レ・ミゼラブル』のヴィクトール・ユゴーが、ナポレオン三世と20年以上も死闘を演じたことを知っているか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2360)】

【読書クラブ 本好きですか? 2021年10月3日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2360)

昨日、メスグロヒョウモンを見つけた場所で3時間ほど粘ったが、1匹の雌(写真1~3)しか現れず、雄には出会えず仕舞い(涙)。そこから15mほど先で、ミドリヒョウモンの雄(写真4~7)を見つけました。ツマグロヒョウモンの雄(写真8、9)と雌(写真8)が飛び回っています。キタキチョウ(写真10)、オオチャバネセセリ(写真11)、小さな雄が大きな雌の背中に乗っているオンブバッタ(写真12)をカメラに収めました。サルビア・レウカンサ(メキシカンブッシュセージ、アメジストセージ。写真13~15)が咲いています。マムシグサ(写真16、17)が実を付けています。父親と釣りをしている少年によれば、体長10cmほどのブラックバスが釣れるそうです。因みに、本日の歩数は13,992でした。

閑話休題、ヴィクトール・ユゴーについては、『レ・ミゼラブル』を書いたフランスの国民的作家というイメージしかなかったが、『ヴィクトール・ユゴー 言葉と権力――ナポレオン三世との戦い』(西永良成著、平凡社新書)のおかげで、3つのことを知ることができました。

第1は、ユゴーが作家であるだけでなく、共和政を目指す有力な政治家でもあったこと。

第2は、ナポレオン一世の甥・ナポレオン三世の支援者であったユゴーが、不法に権力を奪取し第二帝政を始めたナポレオン三世に対する手厳しい敵対者に変わったこと。そのため、国外亡命生活が19年にも及んだが、頑として説を曲げず闘い続けたこと。

第3は、亡命中に完成した『レ・ミゼラブル』は、ナポレオン三世を非難する書でもあること。

「じぶんが見たもの、経験したことを記録し、共和国の敵をたゆむことなく攻撃しつづけるという、新たな義務に目覚める。・・・憎んでも憎み切れないあの男、恩を仇で返して平然としているある男、不法の独裁者ルイ・ナポレオン(後のナポレオン三世)が『消え去る』のを見届けるまでに、ユゴーは19年間もおのれの『義務』を果たしつづけねばならないことをまだ知らなかった」。

『小ナポレオン』の中で、ユゴーは、ルイ・ナポレオンの人格をこう非難しています。「彼は<フランスを殺した>人間であり、<ナポレオン(一世)の名誉を無に帰した>男である。<彼はどんな大罪を犯しても、卑小なままだろう。結局のところ、大国の国民にとっての矮小な暴君でしかないだろう。この種の連中は破廉恥さにおいても偉大になりきれない。独裁者であるこの男は道化師だ。皇帝になったとしても、奇矯で滑稽なままだろう>。この嘲笑は、『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』で『小ナポレオン』を参考文献のひとつに挙げているマルクスの有名な文句、<ヘーゲルはどこかで、すべての偉大な世界史的事実と世界史的人物はいわば二度現れる、と述べている。彼はこう付けくわえるのを忘れていた。一度は偉大な悲劇として、もう一度はみじめな笑劇として、と>を連想させる。ただマルクスはこの書の第2版への序文のなかで、ユゴーを<クーデターの執行責任者にたいする辛辣で才気にみちが悪口だけで満足し、事件そのものには一個人の暴力行為しか見ていない>と難じている。だが、書かれた時期と場所、それまでの経緯を考えれば、ユゴーの直情的な『悪口』にも無理からぬものがあったと認めるのが公正というものだろう」。

「ユゴーはたった独りになっても帝政権力に抵抗するという、この不退転の決意を19年間貫き通す。・・・歴史家のモーリス・アギュロンはこの国外追放の時期のユゴーに関して、<ひとは被追放者のうちもっとも名高い人物を舞台に立たせずに、第二帝政のことを語りえない。ヴィクトール・ユゴーとナポレオン三世の対決、それは共和国と帝国の対決であり、この18年についてはそれ以上なにも言わなくてもかまわないくらいだ。すべてがこの対立のなかにあるのだから>と述べているが、第二帝政時代に国外の絶海の孤島でひとり共和政を体現するようであった亡命作家ユゴーの歴史的役割を的確に要約するものだろう。こうして共和政と自由という信念を貫くためになされた1851年から70年までの亡命によって、ユゴーは19世紀中葉以後のヨーロッパ諸国の自由と良心と勇気の象徴的存在になり、その名声によってフランスで畏怖されるのみならず、イタリア、スイス、スペイン、ポルトガル、アメリカなどからも積極的に意見や助言を求められるような、国際的に敬愛される文人となった」。

「ユゴーが一連の詩作に区切りをつけて、1848年の『二月革命』時に中断した懸案の小説『レ・ミゼール』を読みなおし、満を持して『レ・ミゼラブル』と改題、書き終えることを決意したのは1860年4月25日のことだった。『レ・ミゼラブル』のストーリーからいえば、全体の5分の4までが書かれていた。あとは第5部にあたる部分、つまり共和主義革命の理想に殉じるアンジョルラス、コンブフェールら「ABCの友の会』の闘士たちの悲壮な死、マリユスとコゼットの結婚、ジャン・ヴァルジャンの安らかな死などといった話を追加するだけでよかったはずだ。ところが、最終稿の分量は中断されていた分の倍にまで大幅にふくれあがってしまった。ストーリーとの関連、またストーリーに奥行きをあたえるために、みずからの思想、哲学、すなわち歴史論、社会論、神学・宗教論、宇宙論などをくわえる必要を感じたからである。・・・1845年11月から書きはじめたこの長編小説を、長い中断をはさみ、なんと17年後に完成させたのである」。ユゴーにとって、『レ・ミゼラブル』の完成は、ユゴーのかつてのナポレオン一世崇拝との訣別を意味するものでした。「こう書いてナポレオン(一世)を突き放している。・・・ナポレオン(一世)はいまやアブラ虫と同等の取るに足らぬものとして扱われている。往時の英雄崇拝は影も形も見られなくなっているのである」。

「『レ・ミゼラブル』が発売されるや前代未聞のベストセラーになったことは、有名な伝説として語りつがれている。・・・文学の枠をこえて一種の熱狂的な『社会現象』にさえなったと伝えられている。『レ・ミゼラブル』は帝政のアンチテーゼである共和政の理想を高らかに歌いあげ、学生たちの革命集団『ABCの友の会』の蜂起を思いきって理想化している小説である。・・・これは明らかにナポレオン三世が推進する経済中心主義のフランス社会について厳しい警告を発するものであり、第二帝政へのユゴーの挑戦と糾弾はおよそやむところを知らないのである」。