榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

日本の政治を考えるためのヒント集・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2384)】

【読書クラブ 本好きですか? 2021年10月27日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2384)

ダリア(写真1、2)が咲いています。ホウキギ(ホウキグサ、コキア。写真3)の茎葉が真っ赤になるには、もう少し時間が必要ですね。

閑話休題、『一日一考 日本の政治』(原武史著、河出新書)で取り上げられている366の言葉の中で、とりわけ印象に残ったのは、この9つです。

●中上健次(1946~1992年、作家)――
<私も父も被差別部落民である。私たちは有形無形の差別を被り、目撃し、人権を侵害する事や醜い差別事象に生涯闘い続けるしか生きられないという宿命を刻印されている者らである>。

●伊藤野枝(1895~1923年、婦人運動家、作家)――
<私は一無政府主義者です。私はあなたをその最高の責任者として 今回大杉栄を拘禁された不法について、その理由を糺したいと思いました>。内務大臣・後藤新平に宛てた抗議の手紙の一節です。

●新居格(1888~1951年、評論家、アナキスト)――
<駅頭が広場であってほしいのは、そこを人民討論場であらしめたいからだ。人々は集まって機智と理性の討論会たらしめ、選挙のときなどは意見発表の場所とも出来るからである。どうしても広場と大通りが要るのだ。現に、杉並の中心となろうとする傾向のほの見えるのは荻窪北口である>。「1947(昭和22)年4月30日に行われた戦後初めての公選選挙で杉並区長となった新居格は、区の中心たるべき中央線の荻窪駅北口に広場を整備し、ここを『人民討論場』にしようとした」。私が育った荻窪にこういう動きがあったとは知りませんでした。

●丸岡秀子(1903~1990年、評論家)――
<息子が、「何としても第九条だね。僕にとっては」と言うと、明子は、「わたしは、まず第二四条よ。結婚は両性の合意のみに基づいて成り立つという条文よ。これこそほんとう。これでいかなくては」と主張した>。「(日本国憲法ができたとき)秀子は娘の明子が9条よりも24条を挙げたことに共感した。女性への差別と闘い続けてきたと自負する秀子にとって、24条は新しい憲法をただありがたがるのではなく、その憲法にふさわしい生活を築くための大切な手掛かりにほかならなかった」。

●岡部伊都子(1923~2008年、随筆家)――
<行きたくない、間違うていると言った戦争に、わたしは旗ふって送りだしたんやから、だから、わたしは自分を「加害の女」やと言いつづけているんです>。「敗戦の翌年、岡部伊都子の婚約者だった木村邦夫が1945(昭和20)年5月31日に沖縄本島で戦死したという知らせが届いた。木村は出征する前、伊都子に『こんな戦争は間違っている、こんな戦争で死にたくない』と話したが、伊都子は『わたしやったら、喜んで死ぬわ』と言って送りだした。それを戦後もずっと悔やむ気持ちが、『加害の女』という意識を生み出した。伊都子に言わせれば、当時の教育を妄信して婚約者を死に追いやったこと自体が『加害』なのだ」。

●緒方貞子(1927~2019年、国際政治学者、国連難民高等弁務官)――
<ナショナリストの発言の方が威勢がいいし、人間の感情に強く訴えかける。それに行動が伴うことも多かった。どの時代でも、威勢にいいことを言う人はいるものです。でも威勢がよすぎるのは危険な兆候です。いまの日本の政治家の中にもそういう傾向は見て取れるのではないですか。私にはそう思われます>。「たとえリベラリストの発言に迫力がなくても、ナショナリストの威勢のよさに眩惑されてはならないというのが、緒方が歴史から学んだ教訓だった」。緒方の考えに賛成だが、リベラリストも人々の心に訴える、迫力ある発言を工夫する必要があるのではないだろうか。

●大庭みな子(1930~2007年、作家)――
<あの大戦争の貴重なにがい経験以来、私は二度と「国のため」などという口ぐるまに乗せられない自信がある。なぜなら、国のためになることは人間のためにはならないことがきわめて多いのである。そして大層皮肉なことだが、日本は国粋主義的なあの戦争によって、日本に生まれ、日本に育った、私を含めた多くの日本人に、あの国家への恐怖をいやというほど体験させてくれたのだ>。「<もし、愛国、忠誠、必勝といった言葉を唱えた怪物を国家と呼ぶのなら、国家は、日本は、大部分の日本人をペテンにかけたのだ>。同様の思いを抱いた同時代人は少なくなかったはずだ。戦後の反戦平和運動は、まさにこうした文脈から理解されるべきだろう」。私の両親も、息子(私)を戦地に送りたくないという思いから反戦平和を願い続け、その思いは私にも引き継がれています。

●清水幾太郎(1907~1988年、社会学者)――
<私が驚いたのは、洗面所のようなところで、その兵隊たちが銃剣の血を洗っていることです。誰を殺したのか、と聞いてみると、得意気に、朝鮮人さ、と言います。私は腰が抜けるほど驚きました。朝鮮人騒ぎは噂に聞いていましたが、兵隊が大威張りで朝鮮人を殺すとは夢にも思っていませんでした>。「1923(大正12)年9月1日、清水幾太郎は関東大震災に遭遇する。翌9月2日、家族とともに千葉県市川の兵営に避難したとき、軍人が朝鮮人を殺したと言ったことに衝撃を受ける。さらには著書を通して共感を寄せていた大杉栄が殺されてことを知り、<軍隊は、私を殺すために存在する>と感じる。<日本の社会の秘密を一つ掴>むきっかけとなった関東大震災は、その後の清水の生涯に大きな影響を与えることになる」。

●斎藤美奈子(1956年~、文芸評論家)――
<いまや状況は大きく変わった。私はやはり考えざるを得ない。組織的な行動がいかに古い方法でも、議会制民主主義にいかに限界があっても、それに代わる案がない以上、人々の声を政策に反映させるには、議会の構成員を変えることが必要なのだ>。「2012(平成24)年12月16日、第46回衆議院議員総選挙が行われ、野党の自民党が大勝し、与党の民主党は大敗した。これに伴い野田佳彦内閣は総辞職し、第2次安倍晋三内閣が誕生した。左派ないしリベラル勢力は完敗したのだ。・・・<代議制を笑う者は、代議制に泣くのである>」。