榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

ソ連や中国の社会は、カール・マルクスが目指した社会と大きく異なっているというのは本当か・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2964)】

【読書クラブ 本好きですか? 2023年5月29日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2964)

アジサイ(写真1)が咲いています。マンリョウ(写真2)が実を付けています。

閑話休題、私が社会主義、共産主義の主張を信用しないのは、ソ連、中国などの失敗例を目の当たりにしているからです。ところが、『ゼロからの「資本論」』(斎藤幸平著、NHK出版新書)は、そういう考え方は間違っているというのです。

本書は、カール・マルクスの『資本論』の入門書として書かれているが、著者・斎藤幸平は、マルクスが『資本論』で書いていないことまで、大胆に解説しています。

その背景は、こうです。「私も大学1年生の冬休みに意気揚々と『資本論』に挑んでみたものの、未来社会の姿について全然説明がなくて、肩透かしをくらったのを今でもよく覚えています。なぜ書かれていないのか。その理由の一つは、『資本論』が『未完』だからです。『資本論』第1巻が刊行されたのは1867年。その後、さらに研究と思索を深めながら、15年がかりで第2巻の草稿を第8節まで書いていますが、結局完成させることができないまま、マルクスは亡くなってしまいました。・・・実は、現在、私たちが翻訳で読むことができる『資本論』全3巻は、マルクスの没後に盟友エンゲルスが必死になって遺稿を編集して刊行したものです。・・・しかし、エンゲルスが『マルクス主義』を体系化しようと努力すればするほど、晩年のマルクスが格闘していた未解決の論点や、マルクスの新しい問題意識が見えにくくなってしまったのも事実です。なぜなら、そうした新しい洞察はマルクス自身の構想に大きな変容を迫るもので、到底、残された『資本論』草稿の内容に収まるようなものではなかったからです」。

「ソ連や中国を『社会主義』とみなす考え方を批判し、マルクス=レーニン主義に永久の別れを告げたいと思います。なぜなら、それではマルクスの『コモンの再生』という未来社会のプロジェクトは全然理解できなくなってしまうからです」。

「要するに、現存した『社会主義国家』とは、資本家に取って代わって、官僚が労働者の剰余価値を搾取していく経済システムにすぎません。・・・実は、マルクス自身は『社会主義』や『コミュニズム』といった表現は、ほとんど使っていません。来たるべき社会のあり方を語るときに彼が繰り返し使っていたのは、『アソシエーション』という言葉なのです。労働組合、協同組合、労働者政党、どれもみなアソシエーションです。現代でいえば、NGOやNPOも当てはまります。マルクスが目指していたのは、ソ連のような官僚支配の社会ではなく、人々の自発的な相互扶助や連帯を基礎とした民主的社会なのです」。

「物象化と脱商品化という視点から考えると、福祉国家にはマルクスの考えていたビジョンと重なるところがあります。アソシエーションという視点からすれば、労働組合運動を禁止して、国有化のもとで官僚が意思決定を独占するソ連や中国といった『社会主義国家』よりも、資本主義のもとでの福祉国家の方が、マルクスの考えに近いのです」。この説明には、目から鱗が落ちました。

「階級闘争なき時代にトップダウンで行えるような政治的改革が、BI(ベーシックインカム)であり、税制改革であり、MMT(現代貨幣理論)であるからです。これらは、政策や法の議論が先行する『法学幻想』に囚われているのです。それに対して、物象化・アソシエーション・階級闘争というマルクス独自の視点をここに導入することは、思考や実践の幅を大きく広げてくれるし、これらの大胆な政策提案を実現するためにも、欠かせない前提条件なのです。以上の議論からわかるように、マルクスは、上からの設計だけで、社会全体が良いものに変わるという考え方を退けました。この点は極めて重要です。なぜなら、アソシエーションを通じた脱商品化を戦略の中心に置くことは、ロシア革命のイメージが強い、20世紀型の社会変革のビジョンに、大きな変容を迫るからです。『トップダウン』型から『ボトムアップ』型への大転換と言ってもいいでしょう。この変化は、マルクス自身の革命観の変化にも表れています。マルクス自身も、まだ若かった『共産党宣言』(1848年)の段階では、恐慌をきっかけとして国家権力を奪取し、生産手段を国有化していく『プロレタリアート独裁』を掲げていました。けれども、『資本論』では、議論の力点は大きく変わります。『資本論』に、そのような恐慌待望論は見当たらなくなるのです(プロ独の考えを捨てたわけではありませんが)。むしろ、『資本論』のマルクスは労働時間短縮や技能訓練に力点を置いていました。革命の本であるにもかかわらず、重視されるのは資本主義内部でのアソシエーションによる改良なのです」。

「つまり、階級だけでなく、ジェンダーや環境、人種の問題に取り組む、新しいアソシエーションと脱商品化の道を改めて考えなければなりません。そして、それが『コモン』の再生であり、最晩年のマルクスが考えていた『脱成長コミュニズム』なのです」。そういうことですか!

「ただし、とても残念なことに、マルクスは『脱成長コミュニズム』論を、まとまった形で展開していません。その限りで、21世紀に生きる私たちはマルクスとともに考えつつ、しかし同時にマルクスを超えて、新しい社会のビジョンを作り出す必要があります」。これこそ、斎藤幸平が本書で一番言いたかったことなのでしょう。