野生動物研究者・山際寿一と小説家・小川洋子の対談集・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2431)】
ナタマメ(写真1、2)、クロガネモチ(写真3、4)、トキワサンザシ(写真5~8)、マンリョウ(写真9)が実を付けています。
閑話休題、『ゴリラの森、言葉の海』(山際寿一・小川洋子著、新潮社)は、野生動物研究者・山際寿一と小説家・小川洋子の対談集です。
専門分野が異なる二人の対談は、想定外の方向へ話が進んでいくという楽しみがあります。
例えば、こんなふうです。
「●小川=家族を作り、地域を作り、社会を作っていくうちに、近親相姦で関係がぐちゃぐちゃにならないような仕組みを獲得して、人間は進化したのでしょうか。●山際=近親相姦の禁止というのは、生物学的にはなくても困らないけど、それがあることによってすべてが変わる制度です。こういうのを『ゼロタイプの制度』といいますが、例えば人前で裸にならないというのも同じですね。裸になっても生物学的には支障はまったくないけど、そうしてしまうと社会全体が変わってしまう。レヴィ=ストロースはこれを『自然から文化に移行する制度』と呼びました。インセスト・タブーだって、生物学的にははっきりした理由がない。お父さんと娘やお母さんと息子がセックスをして子どもが生まれたら、もちろん遺伝的に劣性の子どもができる危険性が高くなります。でも、いとことかきょうだい同士だったら危険性は低くなる。ましてや義理の親子同士なら、血縁関係がないから問題ないはずなんです。しかしそれは禁止されている。そこが重要で、してはいけないと決めることによって、性的ではない愛が芽生える。兄弟愛や親子愛ですね。・・・レヴィ=ストロースはインセスト・タブーを人間の互酬性の根本的な仕組みだと言いました。人間にとって互酬性というのは、それ抜きでは語れないくらい強いものです。そしてインセスト・タブーがあるからこそ、娘を他の家族に差し出すことができる。その交換が一般化することで人間性が保たれて、複数の家族が集まる地域共同体が成り立つようになるんです。●小川=本当にうまく理屈が合っていますね」。
「●小川=小説でも、自分の中から無理やり絞り出したもので書いていると、必ず行き詰ります。でも、例えば街を歩いていてぜんぜん知らない人の会話がパッと入ってきたり、見知らぬ光景が一瞬目に入ってきたときなど、外からの情報でひらめいたもののほうが、圧倒的に広がりを持ちます。●山際=この京都大学の近くには哲学の道というのがあって、西田幾多郎や田辺元が歩いたところなんだけど、歩くって考えを浮かべるのにすごくいいですよ。自転車や車に乗っているときは、走ることに神経を集中させなきゃいけないけど、歩くのはその必要がない。だから同時に思考ができる。しかも目や耳にいろんな刺激が入ってきて、その中で考えられる。部屋の中で考えてばかりだと、しかも何もない部屋なら、もう自滅しますね。●小川=ですから作家をホテルに缶詰にするのはよくない(笑)。ベートーベンも、ハイリゲンシュタットの森を一日中歩き回っていました。明治の小説を読んでいると、しょっちゅう散歩をしています。・・・現代のわれわれから見れば非効率的な時間の中に生きている。しかしそうした無駄が人間には必要だと感じます。現代社会はそういうものを切り捨てる方向に動いていますが。●山際=自分というものは自分の意思だけで作られているわけじゃなくて、いろんな環境から影響を受けていわば作らされている。受動的なんです。●小川=人は絶対的で永遠に孤独な存在にはなれないのだ、と山際さんもお書きになっていました。さまざまなものを外界から受け入れながら、更には、現在に至るまでの由来を背負っている以上、一人ぼっちではないんですね」。毎日10,000歩以上歩くことを目標としている私も、二人の散歩必要論に賛成です。思いがけない閃きが得られる経験を何度もしていますので。