榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

北九州の卑弥呼の女王国と、畿内の邪馬台国が併存していたという仮説・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2489)】

【読書クラブ 本好きですか? 2022年2月9日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2489)

ジョウビタキの雌(写真1~5)、ムクドリ(写真6、7)、スズメ(写真8、9)をカメラに収めました。ボケ(写真10、11)が咲いています。

閑話休題、『邪馬台国再考――女王国・邪馬台国・ヤマト政権』(小林敏男著、ちくま新書)では、著者独自の邪馬台国論が展開されています。

「本書の核心は、北九州のヤマト国である女王国(卑弥呼・壹与の国)と畿内ヤマトの邪馬台国とを別個の国として分離し、その併存・対立の関係性を考えたことである。いわば、ヤマト国が北九州と畿内ヤマトに2つあったということにもなる」。『魏志』に見える邪馬台国は畿内のヤマト(大和)だというのです。

「筆者はこれ(畿内ヤマトの邪馬台国)を(古事)記・(日本書)紀にみる初期ヤマト政権(崇神・垂仁天皇の時代)とみている」。

「壹与は魏から晋へと新王朝が樹立された翌年、早くも魏時代の外交を継続して朝貢したことになる。壹与は13歳で即位しているから、このとき32歳となっていた。卑弥呼の女王国は壹与によって安定的に引き継がれていたことが窺われる」。著者は、女王国は晋の初め頃までは安定していたと推測しています。

「女王国にとって重要であったのは、西晋末の313、314年の(高句麗との戦いによる)楽浪郡、帯方郡の滅亡であった。・・・このように女王国が今までの歴史的、伝統的な対中国関係(朝貢体制)を維持できなくなっていく時代が西晋時代であった。・・・(楽浪郡、帯方郡の滅亡により)朝貢への道が完全に断たれたからである」。

「3世紀段階の畿内のヤマト政権が九州の女王国を滅ぼし、朝鮮半島へ進出していく4世紀半以降の時期をヤマト王権の成立と考えている」。

著者の仮説は興味深いが、私は、『魏志倭人伝』の邪馬台国は北部九州にあり、これとは別個に、同時期の畿内にヤマト政権の萌芽があったと考えています。