榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

ブッダ自身は死後の世界があると考えていたのだろうか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2503)】

【読書クラブ 本好きですか? 2022年2月23日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2503)

シロハラ(写真1~3)、ツグミ(写真4)をカメラに収めました。あちこちで、ウメ(写真5~14)が芳香を漂わせています。霜柱(写真15)が立っています。因みに、本日の歩数は15,866でした。

閑話休題、私は仏教に関し、2つの疑問を抱えてきました。1つは、ブッダ自身は死後の世界があると考えていたのだろうか、もう1つは、大乗仏教はなぜブッダ以外の仏たちを作り出したのだろうか――という疑問です。今回手にした『教養としての仏教思想史』(木村清孝著、ちくま新書)が、これらの疑問に答えてくれました。

「ゴータマ(ブッダ)は、その経験主義的な立場からすると当然の帰結であろうが、一定の意見に固執して行われる議論を嫌った。とくに、『自我は永遠なものか、無常なものか』というインド思想の根本問題をはじめ、『世界は有限か、無限か』とか、『精神(霊魂)と身体(肉体)は同一であるか、相違するか』とか、『人は死後、存在するか』といった、一般的な経験の中では明証性がない事柄、いわゆる形而上学的な問題にはタッチしようとしなかった。判断を加えず、沈黙を保ったのである」。

「ゴータマの死から300~400年を経た紀元前1世紀頃から、仏教の世界には新しい動きが起こり、大きなうねりとなっていった。それが、一般に大乗仏教運動といわれるものである。・・・大乗仏教の運動は、思想的には、主に新教典の作成・流布の活動として展開していくが、その期間は、およそ前1世紀から8世紀前後に及ぶと考えられる。・・・(最も古い経典の)『八千頌般若経』などからうかがわれるところでは、大乗の運動を起こした人々は、(彼らの考える)菩薩としてのゴータマの生き方を大乗仏教者の理想と考えた。そして後代になると、菩薩には『ブッダを補助する』『ブッダの一定の特質を具現する』『ブッダに代わって衆生を救う』といった新たな意味が付け加えられてくるとはいえ、大乗仏教の世界ではこの原義的な菩薩観が根幹となって長く受け継がれていくのである」。

「諸系統(の経典)とは別に、独自の系譜を形作っていくものに一連の浄土経典がある。浄土とは『清らかな仏の国土』を意味するが、大乗仏教の世界には、多くの仏・菩薩・神々が登場する。その根本的な理由は、おそらく次の点にある。すなわち、『空』を悟って真実の知恵を得たものが仏とされるので、『空』が普遍的な真理である以上、それを悟る可能性は万人に開かれている。そこで、理論的にはゴータマ以前の過去にも、以後の未来にも、そして同時代の現在にも仏の出現はありうること、いな、むしろあるべきこととして要請される。またそればかりではなく、人によっては体験的に仏などの存在が現実のこととして実感されるだろうからである。この多仏の思想に連動して、仏の浄土にも多くのものが立てられる」。その代表的なものが、大乗仏教ではブッダより上位に位置づけられる阿弥陀仏です。そして、阿弥陀仏の名を唱えれば必ず死に臨んでその来迎を受け、極楽に往生できるという民衆仏教の流れが生み出されていったのです。

本書では、大乗仏教は「仏教の革新」と位置づけられているが、私は、大乗仏教は「ブッダが創始した初期仏教・原始仏教から大きく逸脱した仏教の頽廃」と考えています。

個人的に勉強になったのは、「大乗仏教の思想運動は、まず初期大乗経典の作成・流布という形で展開した。この運動の盛り上がりと思想的多様化の進行は、おのずから一方において大乗思想の理論的整備を要請することとなった。この要請に応えて現れた最初の偉大な大乗仏教者がナーガールジュナ(龍樹。150~250年頃)である」という記述です。類書では、龍樹によって大乗仏教が創始されたかのように書かれていることが多いが、龍樹は大乗仏教の創始者ではなく、飽くまで大乗仏教の理論大成者に過ぎないことが、本書では明記されているからです。