正史『三国志』は、よく読むと『三国志演義』よりおもしろい・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2580)】
東京・文京の東洋文庫ミュージアム(写真1~17)のモリソン書庫(写真1~8)には、思わず息を呑みました。私がブログ「榎戸誠の情熱的読書のすすめ」で目指している「森のような脳内図書館」が目の前に出現したかのような錯覚に囚われたからです。因みに、本日の歩数は15,905でした。
閑話休題、『縦横無尽の人間力――宮城谷昌光対談集』(宮城谷昌光著、中央公論新社)のおかげで、いろいろと学ぶことができました。
平勢隆郎との対談では、こんなことが語られています。「いま、平勢さんがおやりになっていることは、中国の古代史をすべて書きかえる可能性がある。・・・口ではいえないぐらいすごいことをなさったんですね。一番読者に興味のあるところから入ると、孔子の生まれた年です。これは紀元前552年と551年の2説あるんです。・・・日本の中では『551年』と書いてある辞書は結構多い。ところが、平勢さんのを読みますと、明らかに552年ですね。これで決まりというのが実に合理的に書かれている」。「(漢代の司馬遷より前の時代は)前の代の殿様が死んですぐに元年ということではなくて、死んだ翌年の正月をもって初めて元年とする。・・・襄公22年を(漢代の)常識で判断して紀元前551年と算定した年代と、(漢代より前の時代の方法で)紀元前552年と算定した年代と、両方出てきてしまった」。「『史記』をお読みになっている方は、司馬遷の『孔子世家』の中の年と『十二諸侯年表』の中の年の差がなぜ1年かというのが不思議に思えてくるんです。私自身がそうでした。・・・王侯が位についたときの数え方が漢代と春秋時代とは違うということに気がついたのは、ある意味でいうとコロンブスの卵ですよ」。
井波律子との対談では――。「(諸葛亮孔明は)戦い上手ではなかったと私も思っています。やはり司馬懿のほうが上でしょう」。
吉川晃司との対談では、吉川が正史の『三国志』にも『三国志演義』にも精通していることに驚かされました。「私(宮城谷)も昔は演義が好きで、何度読んでも楽しかった。でも時々、特に曹操に関して『嘘ではないか』『これは何なのだろう』という部分が出てくるんですね。たとえば曹操が遠征したとき、その土地の民衆が曹操に味方するのはどういうことか。実は我々はかなり隠蔽されたものを見ているのかもしれない。もう少し正確に見ていく必要があるのかもしれないという気持ちがありました。でも実際に正史をもとに『三国志』を書こうとしたら、大変なプレッシャーがかかってきたわけです。しかも自分自身が演義を好きだったわけですから、まずは自分の先入観を排除しなければならない。それが大変でした」。「正史『三国志』は、よく読むと『三国志演義』よりおもしろいんですよ。演義は作られた物語で、正史『三国志』はその物語の主流から外れた人たちが何をしたのかもきちんと書かれている。人間は、ヒーローだけの集まりではないわけですからね。その人たちの足跡を誠実に見ていくことは、すなわち時代を見ていくことになるわけです」。
「劉備は劉邦の末裔と称していますが、そこに信憑性はないわけですよね」。「劉という氏をもっていれば、すべて劉邦の末裔ということになります。劉氏でも平民はたくさんいました」。「ということは、劉備は民衆の生まれから成り上がっていった数奇な存在。日本で言えば秀吉みたいなサクセスストーリーですよね。そこも、民衆の支持を得る要因であったのかなと」。「『三国志演義』を通じて僕たちが従来持っていた劉備像は、英雄然とした人物です、でも、宮城谷『三国志』における劉備のキャラクターは、のらりくらりと食えぬ奴ですが、人間的な意味というか不思議なおもしろみがありますね。わからない分でかおもしろい」。「こういう劉備像のほうが深い」。「『三国志』の世界を演義でしか知らない人には、ぜひこのおもしろさを知ってもらいたいですね」。
「曹操は神の知恵に近いくらいのものを持っていた人で、あらかじめ自分の意見があってそれと一致したものだけを選んだと思います」。