榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

カラユキさん、山田長政――南洋の日本人町の歴史を辿る一冊・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2731)】

【読書クラブ 本好きですか? 2022年10月8日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2731)

ホタルガ(写真1)、ガのセスジスズメの幼虫(写真2)、キタキチョウ(写真3)、モンキチョウ(写真4)、サトキマダラヒカゲ(写真5)、アキアカネの雄(写真6、7)、トノサマバッタ(写真8)、クルマバッタモドキ(写真9)、ツチイナゴ(写真10、11)、ハネナガイナゴ(あるいはコバネイナゴの長翅型? 写真12)、アオマツムシの雌(写真13、14)をカメラに収めました。

閑話休題、『南洋の日本人町』(太田尚樹著、平凡社新書)で、とりわけ興味深いのは、「サンダカンの日本娘たち」と「山田長政とはどんな人物か」です。

●東南アジアのボルネオ島のサンダカンの日本娘たち
「南洋に渡っていく大和撫子の話になるが、彼女たちの総称カラユキさんとは唐人行(からひとゆき)、または唐ん国行(からんくにゆき)が短縮された言葉だそうだ。幕末から昭和初期にいたるまで、中国大陸や東南アジア、アメリカまで渡ってゆき、売春行為をして日本に送金していた女性たちのことである。彼女らについての資料は種々あるが、そのなかでも、近代日本女性史研究家山崎朋子の『サンダカン八番娼館』によって、社会的に注目されるようになった。・・・南洋は、彼女たちには実態のない玉虫色のロマンをかき立てる地でしかなかったのは事実だろうが、『ワシがどげんかせんといかんばい』という郷里の貧しさと責任感が根底にある。心細さを、『仲間がいるから』という同郷の連帯感で打ち消し、若さで乗り切ろうとした彼女たち。だがそんなとき、貧しさにつけ込む不逞の輩が介在してくるのは、近代日本女性史に付きものの現象である。女衒(ぜげん)といわれる女郎屋への斡旋業者のことで、彼女たちから『親方』と呼ばれていた。娘たちが日本を発つとき、300円が親方から親族に支払われていたが、現地に着いたら彼女たちが負わされた借金は、2000円にもなっていることが珍しくなかった。船賃や諸経費がかかっていたにしても、あくどいやり口である。しかもまだ初潮もみない12、3歳の若い子には、残酷な大人の世界が容赦なくのしかかる」。

●山田長政とはどんな人物か
「山田長政が着いた当時、(タイの)アユタヤを治めていたのはソンタム王ですが、長政たち日本人は、交易商人としてバタヴィアとの交易にも励みながら、有事の際には、アユタヤの傭兵として期待される存在だったのです。ですから戦国時代に激しい戦闘の経験をしてきた武士や浪人たちは、いわば即戦力です。・・・長政はまもなく、総勢1500人いた日本人町のリーダーとなります。統率力が抜群だったということでしょう。長政は1629年に、ルソンを基地にしたスペイン軍の侵攻を2度撃退させたことが、スペイン側の記録にありますから。それでアユタヤ王朝のソンタム国王から、絶大なる信頼を受けることになったわけです。実際この功績によって、ソンタムの王女と結婚したのですが、オークヤーと呼ばれる大臣職に就き、セーナーピムックという名前を戴いています。駿河の一駕籠かきが、大出世を果たしたことになる。当時の南洋諸国は、大望と実力を備えた人物ならだれでも受け入れるほど、懐が深かったということでもある。そんな折、忠誠と武勇を兼ね備えた日本人は、ここでも歓迎されたのである。しかし出世のあとには、権力闘争が待ち構えているのもこの世の常。ソンタム国王が亡くなると、長政は後継者争いに巻き込まれることになった。・・・長政は1630年、度重なる戦いで太ももに傷を負ったところを、傷口に毒を塗られ毒殺されたと伝えられている」。