榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

風変わりな男が恋人と「電気のない生活」を送った1年間の記録・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2789)】

【読書クラブ 本好きですか? 2022年12月5日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2789)

ヨシガモの雄と雄のエクリプス(写真1)、ヨシガモの雄とオカヨシガモの雌(写真2)、オカヨシガモの雄と雌(写真3、4)、オナガガモの雄(写真5、6)、雌(写真7)、マガモの雄(写真8)、オオバン(写真9、10)をカメラに収めました。因みに、本日の歩数は13,219でした。

閑話休題、『ぼくはテクノロジーを使わずに生きることにした』(マーク・ボイル著、吉田奈緒子訳、紀伊國屋書店)は、風変わりな男が恋人と「電気のない生活」を送った1年間の記録です。

「明日から小屋で電気のない生活――長いあいだ当然視してきた文明の利器、すなわち電話、コンピューター、電球、洗濯機、蛇口の水、テレビ、電動工具、ガスコンロ、ラジオも、一切ない暮らし――がはじまるという日の午後、一通の電子メールが届いた。ぼくが受けとる人生最後のメールとなるかもしれない。差出人は出版社の編集者だった。その日の新聞に寄稿した文章を読んで、体験をもとに本を書く気はないかと連絡をくれたのだ」と始まります。

「カースティ(=恋人)もぼくも、きょうは心身ともに疲労困憊の一日だった。どんなドラッグであれ中毒状態から抜けだすのは困難を伴い、テクノロジー中毒も例外ではない。しょっちゅうあるわけではないが、今夜にかぎっては二人とも、のんびり映画でも見て疲れを忘れたい気分。もはや、それはできない相談だけれど」。

「きょうで38歳になった。そろそろ中年の危機に直面するのだろうか。もうすでに突入しているものと、ほとんどの人から思われているかもしれないが」。

「頭のなかを、やれねばならぬ一千一個の仕事が去来する。しかも、それぞれがまったく別種の仕事である。畑の草とり。馬の水やり。コンポストトイレを空にする。ジャガイモの土寄せ。無料宿泊所の雨どいの修理。追加のサラダ野菜の種まき。アブラナ科野菜の水やり。道具置き場の掃除。洋ナシとプラムの木に追肥。コンポストトイレを空にしたりジャガイモの土寄せをしたりの作業に関する記事の執筆。薪風呂づくり」。

「1週間かけて、ブナ、トウヒ、カバノキを運び、玉切りし、薪に割り、積みかさねつづけた結果、ついに2年分の薪のたくわえが確保できた。ここへ引っ越してきて以来、初の快挙だ。腕のいい小農場主が通常みずからに課すノルマを、ぼく自身が達成するまでには、かくも長い年月を要した」。

「丸一日の休みを最後にとったのは、いつだろう。こういう暮らしでは、何もせずふとんにくるまって過ごす一日など、命にかかわりかねない。ひねるだけの蛇口、押すだけのボタン、タイマー設定するだけのセントラルヒーティング、気軽に立ち寄れるカフェ、一日じゅうのんびりさせてくれるスイッチ類など、そうした便利なものは何ひとつありはしない。つねに、例外なく、何かしらすべき仕事がある。裏返せば、ほぼ毎日、生きている実感をおぼえるということだ」。

「自分のウンコが入ったバケツを空けにいくとき、シカを解体しているとき、どしゃぶりの雨のなか堆肥を切りかえしているとき、その他、この暮らしに必要な雑事――場合によってはマヌケにも非倫理的にも不条理にも思われるであろう作業――のさいちゅうに、ふと『なんだってこんなことをするはめに?』という気持ちに襲われる瞬間がある」と言いながら、「あらゆる人間らしさと引きかえに安楽さを売りこんでくる生きかたには、退行したくない。・・・広い野外こそ、ぼくがいるべき場所だ」と決意を新たにして終っています。

もう一つの人生を経験することが読書の愉しさだとするならば、本書は最適な一冊と言えるでしょう。