中世の武士にとっては、忠義よりも領地とメンツが優先した・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2806)】
オオカマキリの卵鞘(写真1)をカメラに収めました。シャリンバイ(写真2、3)、マンリョウ(写真4)、シロミノマンリョウ(写真5)、センリョウ(写真6)、キノミセンリョウ(写真7)、クチナシ(写真8)が実を付けています。
閑話休題、『武士とは何か』(呉座勇一著、新潮選書)は、私たちが抱いている中世武士のイメージを根底から覆す刺激的な一冊です。
中世の武士にとっては、忠義よりも領地とメンツが優先したことが、源義家から伊達政宗まで33人の「発言」によって証明されています。
「中世社会においては、従者が主人に絶対服従しなければならないという片務的な主従関係はかなり例外的であった。主人と最後まで運命を共にすることを義務づけられた従者は家老や側近のような存在に限られ、大半の武士は、たとえば平家が栄えれば平家に属し、源氏の天下になれば源氏に仕えるという功利主義的な考えを持っていた」。
「この時代の主従関係は代替わりによって解消されることが少なくなかった。力のない主君の元から家人が去ることも日常茶飯事だった。源頼朝が挙兵に際して山内首藤経俊に協力を求めたにもかかわらず、経俊がこれを一笑に付し、平家方についたことはその典型である。山内経俊は頼朝の乳母(山内尼、頼朝の乳母は複数いる)の息子である。すなわち乳母子である。彼の父と兄は平治の乱で(頼朝の父)義朝に従い戦死している。一般に乳母子は主君にとって最も信頼できる家人であるが、その乳母子に見限られているのである。主従の絆はかくもはかないものだった」。
「高校日本史の授業の、鎌倉幕府の項で『御恩と奉公』という言葉を習ったことを覚えているだろうか。御恩とは主人が従者に与える恩恵のこと、奉公とは従者が主人のために奉仕することを意味する。御恩と奉公はセットになっており、主人が従者に御恩を与えるからこそ、従者は主人に奉公するのである。源頼朝は御家人に所領を与え、御家人は頼朝のために戦う。つまり中世の主従関係は互いに義務を負う双務的関係である」。
中世の武士と、主君への忠義を絶対視する江戸時代の武士とは分けて考えなくてはいけないことを学びました。