榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

『歎異抄』が身近に感じられるようになる一冊・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2877)】

【読書クラブ 本好きですか? 2023年3月3日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2877)

餌を捕食するタシギ(写真1~5)、水浴びするタヒバリ(写真6~8)、ヒヨドリ(写真9)、ジョウビタキの雌(写真10、11)をカメラに収めました。因みに、本日の歩数は11,990でした。

閑話休題、『図解 歎異抄――たよる、まかせる、おもいきる』(齋藤孝著、ウェッジ)では、『歎異抄』のポイントが分かり易く解説されています。

●善人でさえ往生できる。悪人はいうまでもない=悪人正機
「善人とは自力でやっていける人であり、悪人とは他力にすがるしかない人だ」。「煩悩にまみれて罪深い悪人こそ阿弥陀仏の本願によって救われる」。「<善人なほもって往生をとぐ。いはんや悪人をや>は、親鸞一流の逆説がみごとにヒットしたところですね」。

●念仏をとなえるという易行によって、落ち着いた安らかな心が得られる=称名
「念仏とは、仏を心に思い描いて祈る修行なのですが、(親鸞の師)法然はこの念仏を、仏の名前をとなえることだけでよいとしたのです。これを「称名」といいます。念仏は『南無阿弥陀仏』ととなえますが、この『阿弥陀仏』が名前で、『南無』は、『おまかせする』という意味です」。

●師と弟子ではなく、ともに信仰の道を歩むものどうし
「<親鸞は弟子一人(いちにん)ももたず候ふ>。「『私は一人も弟子をもっていません』といわれると、『ほおー』と意外な感じがしますね。これも親鸞独特の意表をついた表現です。自分も阿弥陀仏のはたらきかけによって念仏しており、また、ほかの人も同じように阿弥陀仏のはからいで念仏をとなえているわけだから、ほかの人を自分の弟子だ、などというのはオカシイのです」。

●念仏をしていると、何にもさまたげられず、安らかな心で生きていける=他力
「<念仏者は無碍の一道なり>。短い文章ですが、親鸞の信仰に対する確固とした心が表れています。念仏するおかげで、目の前にさまたげのない道が現れ、そこをなんの不安もなく歩いていけると思うと、私たちもずいぶん気が楽になりますね」。