榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

伊達騒動の原田甲斐宗輔は、史実では忠臣ではなかった・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2881)】

【読書クラブ 本好きですか? 2023年3月7日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2881)

行き合ったバード・ウォッチャー鈴木美智代さんのアドヴァイスのおかげで、ベニマシコの雌あるいは雄の若鳥(写真1~4)を撮影できたが、成熟した雄の撮影には失敗。鈴木さんが撮影した雄の写真を私のデジカメで写させてもらいました(写真5)。ジョウビタキの雄(写真6)、アオジの雄(写真7)、雌(写真8)、ホオジロ(写真9)、モズの雄(写真10)、ハシボソガラスと巣(写真11)、キジの雄(写真12、13)、キンクロハジロの群れ(写真14~16)をカメラに収めました。今宵は満月です(写真18)。因みに、本日の歩数は17,081でした。

閑話休題、『<伊達騒動>の真相』(平川新著、吉川弘文館・歴史文化ライブラリー)には、驚くべきことが書かれています。

広く人々に伊達騒動を知らしめたのは、1958(昭和33)年に刊行された山本周五郎の『樅ノ木は残った』でした。従来、主家に害をなす逆臣とされてきた原田甲斐宗輔が、この小説では仙台藩乗っ取りを防いだ忠臣として描かれており、私なども当時、原田宗輔の生き方に深い感銘を覚えたものでした。

ところが、平川新は、原田宗輔は忠臣ではなかったと断言しているではありませんか。各種史料に基づき実証的な検証を重ねた結論だけに説得力があり、山本周五郎の分が悪いことは明らかです。

「原田忠臣説は、これまで山本の独創のように理解されてきたが、明治後期から昭和初期にその原型はほぼ出そろっていた。山本作品はその延長上にあるが、人物描写や細部のストーリーには、もちろん独自性がある」。

日本文学者・蒲生芳郎は、山本作品をこう評しています。「筋書に合理性がないと指摘している。講演のなかでは、<まともな歴史小説家の書けることではない>とも述べていた。多くの評者は人物描写の深さを賞賛してきたが、蒲生は、つじつまのあわないストーリーではないか、と率直に批評したのである。しかし蒲生は、<時代小説家なら書ける>ともいった。歴史小説は史実や歴史的に実在した人物をもとに描いた作品だが、時代小説は作家の自由な空想で時代を描くフィクション(虚構)だからだということである。『樅ノ木は残った』は要するに、原田甲斐という実在の人物と作者の自由な空想を組み合わせた作品であり、山本のみた孤独で悲愴な人物を歴史小説の枠に閉じ込めずに描いた小説だ。だから、それが真実であるかのごとき迫力をもって描かれており、非凡な『力わざ』だというしかない、という作品評だった」。

「私自身も『樅ノ木は残った』を読んだときに、そのストーリーにいくつもの不自然さを感じていた。・・・作者の空想で描いた時代小説だと割り切れば、どうということはない。歴史に題材をとった小説が、人気を得ることはしばしばあるからだ。筋書の不自然さを気にしなければ、確かに人物や情景描写は巧みである。だが山本は、気になる発言をしていた。宮城県柴田町在住の直木賞作家大池唯雄は、原田宗輔ゆかりの地である同町の船岡に住んでいた。山本周五郎と親交のあった大池は、山本の描く伊達騒動が評判となって、そのストーリーを史実として受け入れる人が増えてきたことから、史実と文学作品による創作とが混同されることに困惑していた。そこであるとき山本に、あの作品は史実だと思われていますというと、山本周五郎は、<ぼくもあれを史実だと思っています>、<だってあれ以上に解釈のしようがないじゃありませんか>といったという。あの作品は小説だからということであればなにもいうことはないのだが、あれが史実だといわれてしまうと、歴史研究者としては、いや史実ではないでしょう、と発言しなれければならなくなる。それほど山本の描いた原田宗輔像が世間に普及しているからである」。

それでは、史実はどうだったのでしょうか。一言で言えば、幼少の仙台藩第4代藩主・伊達綱基の後見人・伊達宗勝と、宗勝の専横を阻止しようとした一門の伊達宗重との権力闘争であり、宗勝の一味の原田宗輔が、大老・酒田忠清邸で宗重を斬殺した事件です。老中一同による審問では、「伊達宗重の訴状にはこれらの問題も含まれていたから、伊達宗勝と同心した問題だけではなく、原田自身の責任が追及された可能性が高い。席次問題も誓詞一件も、事の成り行きからみて原田に非があったことは明らかであるから、老中に十分な申し開きができなかったのではないだろうか。結局、身の破滅を悟り、逆上して(宗重に対する)刃傷に及んだとみるのが自然だろう。大老邸で発生した史上まれにみる大刃傷事件では、伊達宗重と(酒井家の家臣に斬られた)原田宗輔が即死し、重傷を負った柴田朝意は同夜のうちに絶命、蜂屋六左衛門も翌日に息が絶えた」。

時代小説の影響力について、改めて考えさせられました。