不登校の子どもたちが働く、地方の小さな本屋の軌跡・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2901)】
ソメイヨシノ(写真1~6)、ヤマザクラ(写真7~9)、ヤエベニシダレ(写真10、11)、ハナモモ(写真12~14)、モモ(写真15)が咲いています。左からヤマザクラ、ツバキ、ハナモモ、ヤエベニシダレと揃い踏み(写真16)。ソメイヨシノの落花(写真17)。
閑話休題、エッセイ集『本屋で待つ』(佐藤友則・島田潤一郎著、夏葉社)には、著者・佐藤友則が経営する地方の小さな本屋の軌跡が綴られています。
「そもそもぼくには人を雇うということが無理なのではないか? そんなふうに思っていたときに、出会ったのがSさんだった。Sさんは高校一年生の女の子で、高校に入学したばかりなのに、学校に行けなくなってしまっていた。・・・(Sさんの母親から頼まれて雇い入れた)Sさんは最初、ずっとレジのなかで立っていた。それだけで、一所懸命という感じだった」。
「試されていたのは、つまり、Sさんではなく、ぼくのほうだったのだと思う。自分の理想をSさんに押し付けるのではなく、Sさんの心に寄り添っていくこと。長い目で見ること。Sさんのことを信じること。もっとベタな言い方をすれば、『自分という存在のままでいいんだと』と伝えること。『そういう場所が社会にはちゃんとあるんだよ』ということを身をもって教えてあげること。そういうことができれば、彼女たちは元の自分を取り戻し、自分たちのペースで積極的に仕事をしてくれる」。
「ウィー東城店では学校に行けなくなった子の面倒を見てくれるらしいわ」という話が、田舎の町で広がります。
「Sさんと出会うまで僕の辞書には『待つ』という単語は無いにも等しかったのです。なんでも自分でやろうとしたし、なんでも自分で出来るという自惚れが『待つ』というページを聞こうともしませんでした。・・・でも、一歩が踏み出せない子達との出会いが僕をゆっくりと変えてくれました。何故か次から次へと学校に行けない子達がウィー東城店で働くようになり、どうしたら彼ら彼女らと一緒に歩めるようになるのだろうと考える事は、自然と駆け足からジョギングへ、そして寄り添い歩くことへ、最後には泥水の泥が沈殿していくようにそこに静かに留まり受け止めることを可能にしてくれました。待つということは聴くということとよく似ています。待てない人はおそらく人の話(心の奥底の想い)を聴けていないと思います・・・。かつての僕がそうであったように。静かに待つということは案外難しく、特に僕には難しい行為でした。でも、彼ら彼女らの事を理解しようと思えば待つしかなかったのです。逆に言うと、駆ら彼女らが待っていてくれたのかもしれません。だって、殻ら彼女らはいつも静かに黙っていましたから」。
「待つ」ことが苦手な私の心に、深く沁み入ってきました。