翻訳に必要なのは、想像力の枠から出ようとすることと、能動的に読むこと・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2167)】
ソメイヨシノ(写真1~6)、ハナモモ((写真7~13)が咲いています。我が家のモクレン(シモクレン。写真14)も頑張っています。我が家の庭師(女房)の仕事を、ほんのちょっぴり手伝っただけなのに、腰が痛くなってしまいました。
閑話休題、『翻訳教室――はじめの一歩』(鴻巣友季子著、ちくまプリマー新書)を読んで、心底、驚いたことがあります。
本書は、翻訳者の鴻巣友季子が、東京の世田谷区立赤堤小学校6年2組の30名に、3日間かけて翻訳の授業を行った経験に基づいて書かれているが、「長い英語の文章を読むのも初めてだし、英語の本や英和辞書すら手にしたことのない子がほとんど」だったのに、「授業の最後には、わたしもうらやましく思うような翻訳をつぎつぎと生みだしてくれた」からです。
著者は、翻訳をする時に大切なこととして、想像力の枠から出ようとすることを挙げています。自分の想像力の壁を打ち破って想像力の枠を広げるには、どうしたらいいのでしょう。「いきなり想像力だけを広げることはできません。想像力を豊かにするには、経験や知見の土台が欠かせないからです。しかし経験を広げ、知見を深めるといっても、例えば被災地に赴いてボランティア活動をするとか、世界各国を旅してまわるとか、学校を辞めて社会で働いてみるとか、そういったことには限りません。また、最も大事なのはそのなかでいろいろな『感情』を経験するということなのです。そのためには、読書というのはとても有効だとわたしは思います」。
「翻訳とは最終的には『書くこと』です。しかし翻訳するには、まず原文(他言語で書かれた文章)をよく読まなくてはなりません。訳者というのは、まず読者なのです。翻訳というのは、『深い読書』のことです。そして、なにかを読むということは、他人と出会うことです。その本や文章を書いた自分ではないだれかと対話することなのです。・・・よく訳すためには、よく読めるようになること。これに尽きます。よく読めれば、よく訳せる」。著者は、能動的に読むことが必要だと言っているのです。
個人的に勉強になったのは、英語の直接話法と間接話法の中間くらいに自由間接話法(描出話法)という話法が存在すると教えられたことです。
また、個人的に大きく頷いたのは、この鋭い指摘に対してです。「(読書)感想文ではなく、本の客観的なサマリー(概要)を書くという訓練には、(日本の教育界は)消極的のように見えます。英米では低年齢のうちから段階をおってサマリーを書くトレーニングをします。なんでも真似をする必要はありませんが、これによって客観的に読む姿勢が培われるのも事実です。サマリーを書くには、文章をロジカル(理論的)に読み、文章の進んでいく方向を見極め、構成を理解し、語調の変化などにも留意し、全体を眼下において取り組まなくてはなりません。『自由にのびのびと』といった精神論では書けないものなのです。ロジック(理論)もスキル(技術)も必要です。いま挙げたことはすべて、想像力のスペースを広げていくのに必要なことであり、翻訳する際に欠かせないものでもあります」。このことは、翻訳だけでなく、書評にも当てはまると、私は考えているからです。