榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

認知症状の世界を体験できる稀有な小説・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2952)】

【読書クラブ 本好きですか? 2023年5月19日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2952)

昨晩、我が家の料理人(女房)が、今年もヤモちゃんがやって来たわよ、と。定位置のキッチンの曇りガラスに現れたニホンヤモリ(写真1)をカメラに収めました。ニオイバンマツリ(写真2)、ラヴェンダー(写真3~8)が芳香を漂わせています。

閑話休題、誰でも年齢を重ねると、程度の差はあれ、いずれは認知症状を呈することは避けられないようだが、認知症状が現れるとどうなるのかは、自分がそうなってみないことには分かりません。

ところが、『にぎやかな落日』(朝倉かすみ著、光文社)を読むことで、予行演習ができたというか、僅かながら認知症状の世界を体験できたのです。

82歳の島谷もち子は軽度の認知症を患っており、夫の勇は特養に入っているが、単身赴任中の長男のお嫁ちゃん・トモちゃんがよくしてくれています。そして、何かあると、58歳の長女・ちひろが東京から駆けつけてきます。

「わずかな期間で、おもちさんは著しく老いが進んでしまったのだった。調子よく走っていた汽車がトンネルに入ったようなものだった。真っ暗だから目が利かないし、なんだか耳も詰まっている。そんな状態で、林さんが以前から日程を組んでいてくれた介護認定の調査があり、三段階特進の要介護2に認定された。総合病院での精密検査の結果、糖尿病だの大動脈瘤だの血栓症だのいろいろ発見された」。

「おもちさんは、ここ数ヶ月でめっきり痩せた。その前から体重は少しずつ落ちていた。徐々に目立つようになってきたと思ったら、加速したように痩せたのだった」。

おもちさんは、83歳の時、入院します。

「おもちさんは、ふと、涙ぐみそうになった。トモちゃんはまだ四十代。やりくりだけでひと苦労だろうに、いつもきちんとお化粧し、こざっぱりとした身なりをしている。背の高い美人さんだから、もっともっとオシャレしたいに違いなく、欲しいものがどっさりあるのだろうが、機嫌よく我慢している。それに、優しい。おもちさんの話をよく聞いてくれる。おもちさんが途中で『アレ、これ前にも喋ったかナ』と気づいていながら最後まで話すときでも、初めて聞くようにして熱心にうなずく」。

「うなずくだけで精いっぱいなのだった。それでも頭に重苦しい雲が垂れ込め、のぼせたようにクラクラし、気絶しそうになる」。

「娘が書類封筒から出したのは、パンフレットだった。『お母さん、ココに住むんだよ』。そう言って見せてくれたのは、おもちさんのよく知っている建物だった。家からバス停三つ離れた場所にある。新しい老人向けの施設で、でも老人ホームではないらしい。その手の施設はいくつもあるけど、おもちさんの仲間内では、そこがもっとも高級ということになっていた。その名も夢てまり」。

「おもちさんは合点がいかなかった。なぜ、ちょっと歳を取っただけで、念のため念のためと多めに自由を奪われないとならないのか。歳を取るとできないことが増えてくるから、そこだけ助けてくれたらいいではないか。そのほうがよっぽどカンタンだし、そっちの手間も省けるじゃないのサ、まったくモー。常日頃から抱えていた鬱憤が温められ、おもちさんのお腹のなかでグツグツしだした。及川さんの口ぶりから門限らしきものがあると察知し、ブクブク煮立ち始める。『ちょっと! どれだけ自由を奪ったら気がすむのサ! 上げ膳据え膳のマンションって触れ込みじゃなかったのかい!』」。

「鳥谷もち子、満八十三歳、来月のお誕生日で八十四歳。もう独りでは暮らしていけないそうである。先生のお許しが出ないのである。だから、あんな、明るいオバケ屋敷みたいなところに行かざるを得ないのだ」。

何やかんやあったが、84歳のおもちさんは、夢てまりに入居しました。

「おもちさんは首をかしげた。今、なにかが頭のなかを通り過ぎた。なにか、とても楽しい思い出だ。そんな感じがカタツムリの這った跡みたいにキラキラと残っている。思い出そうとしたのだが、すぐにどうでもよくなった」。