榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

ルイ十六世は愚鈍で無責任な人物などではなく、平等を目指した不運な革命家であった・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3156)】

【読書クラブ 本好きですか? 2023年12月7日号】 情熱的読書人間のないしょ話(3156)

ジョウビタキの雌(写真1、2)、不鮮明だがアオジの雌(写真3)、コガモの雄と雌(写真4、左が雄)、雄(写真5)、ヨシガモの雄と雌(写真6、右が雄)、雄(写真7)、ヒドリガモの雄と雌(写真8、奥が雄)、雄(写真9)、バン(写真10、11)、ダイサギ(写真12)、アオサギ(写真13~15)をカメラに収めました。夕焼けを眺めながら帰途につきました。因みに、本日の歩数は13,117でした。

閑話休題、ルイ十六世といえば、このようなイメージが流布しています。「フランス絶対王政最後の国王、ルイ十六世に属する、恐ろしく月並みで通俗的なイメージは誰もが知っている。温厚ではあるが、愚鈍で威厳がなく、たるんだ顔つき。知性は偏狭で、先見の明、決断力はない。自分が背負った責任に押し潰され、『国王の職務』にうんざりしている。大食漢で寝てばかり、諮問会議で居眠りをする国王は、太りすぎを解消するため、国務をおざなりにして、諸々の激しい運動に励む。ヴェルサイユ宮殿の石工見習いのように、天井の梁や石の塊を扱い、鍛冶仕事をして、錠前を作る。汗を流し、息を切らせて馬に乗り、鹿をヘトヘトになるまで追いかけ、狩猟ばかりして毎日を過ごす。お人好し、軟弱で優柔不断、状況につねに惑わされ、宮廷の陰謀にすぐに引っかかる。あらゆることにおいて気まぐれで軽薄な若妻、『オーストリア女』のマリー・アントワネットの悪影響に屈する。ダメ夫は、『身体的機能欠陥』によって結婚後7年間不能で、彼女を満足させることができない。そして突然、この無気力な男にフランス革命が襲いかかる。もみくちゃにされ、ひどい扱いを受けたあと、叩き潰されるのだ。そして彼だけではなく、旧体制の世界すべてが消え去ることになる。1789年7月14日の晩に彼が日記に書いたことは永遠に笑い種となり、その言葉を知らないものはいない。『ラ・ロシュフーコー公爵はバスティーユの陥落を知らせるために国王を起こした。国王がただの暴動であろうと声を上げると、公爵は、いいえ、陛下、革命でございますと答えた』。マリー・アントワネットは夫のことを『可哀相な男』と呼んだ。彼は一家の良き父で家族への気遣いを忘れず、協調性が高く、妥協をいとわない。そのため二枚舌や嘘も使う。既成事実を受け入れるような顔をしながら、パリ周辺に外国軍を集めて秘密裡に反革命を準備した。外国への逃亡を企てつつも、革命家たちと数々の約束を交わした。憲法を承認する一方、フランスの軍隊を打ち破るために、義弟の神聖ローマ帝国皇帝レオポルト二世とプロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム二世の助けを裏で求めた。腹黒く、不実な裏切り者は悲劇的な運命にふさわしくなかったといえるのだろうか? この男が適当で不当な裁判の結果、死刑台に勇敢にのぼったという事実には疑いがない。しかし彼が体現していたアンシャン・レジーム(旧体制)が滅びるため、そして腐りきった腐植土の上に新しい自由が花開くため、彼は死ぬべきではなかったのではないだろうか? 結局、死刑執行人サンソンのギロチンの刃は一人の凡人の首を切ったにすぎなかったのだ! こうした数々の紋切り型は、かのラヴィッスやマレ=イサック以来、教科書において繰り返し語られ、大学教員たちですらその記述を改めようとはしなかった」。

このイメージは間違っていると異議を唱える『ルイ十六世』(ジャン=クリスチャン・プティフィス著、小倉孝誠監修、玉田敦子・橋本順一・坂口哲啓・真鍋清孝訳、中央公論新社、上・下)を手にしました。

数多くの公立図書館、古文書館、個人コレクションなどに保管されている膨大な一次史料を広く渉猟したうえで書かれた伝記なので、説得力があります。

「国王の教育はけっしていい加減なものでなかった。あるいは国王の勉強の仕方に関する研究。つまり国王が大量に読んだ書物、そうした書物によって国王が身につけた広い教養が明らかにされた。また二人(ジロー・ド・クールサック夫妻)の研究は、科学技術と航海術に関する情熱、ラ・ペルーズの太平洋周航に国王が果たした役割、国王が絶望的と知りつつも反対した1792年の開戦、そして自分の裁判における不正行為などについても明らかにした」。

「ルイ十六世は、何も通さない沈黙の鎧をみずから進んで身につけていた。・・・国王の文体はルソー的な心情の吐露とは無縁であり、簡潔,生硬で飾り気がなかった。ルイ十六世は直接向けられた質問に対してまったく何も答えないことで、相手を不安にさせることがあった」。

「これらの手紙のところどころには、注意深い君主、ルイ十六世が余白に書き込みをしており、ルイ十六世が外交に与えた重要性、彼が大きな決断に参加していたことを示している」。

「ルイ十六世はまさしく非典型的な国王であった。過度の慎ましさ、行き過ぎた控えめ、これらが君主制の威光の喪失と王室崇拝の消滅を加速するのに、大いに寄与したことは確かである。宮廷の礼儀作法も大きな典礼儀式の豪奢も好きではなかった。・・・侍従たちの熱心さをかきたてるには、褒賞を与えたり、寵愛を示したり、ちょっとした行為を示してやらねばならないことを、彼は知らなかった。・・・彼は自分の立像を立てるのも、アメリカでの勝利を記念するメダルも含め、およそメダルを鋳造するのも拒否した。・・・いかなる場合にもルイは、自分の肖像を残して広めようとは考えなかったのだ。それは無意識のうちに自分自身の正統性の基礎を握り崩す行為であった。それというのも、絶えざる強力なプロパガンダなしに、君主の行為や殊勲の称揚なしに、民衆に強烈な印象を与える栄光に満ちた壮麗さなしには、王の座はたちまち揺らいでしまうものだからだ」。

「即位したとき、ルイ十六世はまだ智慧遅れの少年であった。治世を始めて2年後、22歳になったとき、彼は知的にも政治的にも、議論の余地のない成熟を遂げた」。

「国王がまさしく見抜いたとおり、彼女(マリー・アントワネット)は頭が空っぽで、他人に影響されやすく、度しがたく軽薄であった。彼女を国政から遠ざけ、彼女の身を飾るのに消えてしまう予算額を削減するには、彼女を次々に現れる楽しみの行列に委ね、気晴らしに熱中させ、騎馬での散歩とかダンスとかパリへの出遊びなど、彼女の一番好きなものにどっぷりと浸からせてやるにしくはない、こう国王は考えた」。

「数々の改革の試みが、特権階級からの抵抗で頓挫。その原因の一端は、王の優柔不断な性格にもあった。・・・ルイ十六世がもっていた真摯な改革への意志が、彼自身の玉座を危うくするのに大いにあずかったということを否定することはできない。1786年から1787年にかけて、カロンヌの改革案が名士会議によって拒絶されたことを期に、大きな変化が起こった。ここで時代は新たな段階に突入、大革命へとひた走ることとなる。・・・暴力的な革命がもたらされたのは、不幸なる紆余曲折、つまり、めったにないような不運の連続と国王の対処能力のなさとが相俟ってのことだった」。

「自由、平等、人権、すなわちこれら近代社会の基本事項を認める必要に迫られていた。ルイ十六世の偉大さは、伝統に則った昔ながらの教育しか受けていなかったにもかかわらず、そのことをいち早く認識していたことである、おそらく、彼は、不器用なやり方ではあったが、意識的にこれら近代社会の基本事項の確立を推進しようとしていたのだ。農奴の財産に関する遺贈の制限の撤廃、直領地における農奴制の廃止、プロテスタントの身分の承認、ユダヤ人たちのための措置の施行などが行われた。平等を目指す革命は進行しつつあったのだ」。

「ルイ十六世に関して、非難すべき事は多々ある。まずは、徹底的なまでの意志の薄弱さ。・・・また、彼にはカリスマ性が欠けており、軍の総帥としてふさわしい行動がとれなかった。さらには、公共の利益をないがしろにするような意見を採用することもあったし、個人的な道徳規範と政治を混同してしまうような純粋さも問題である。国家の暴力を拒否する彼の姿勢は、まさに僕力を生み出す温床となってしまった。内戦を避けようとする彼の平和主義が、ついにはフランスに内戦をもたらしてしまったのだ。人民の血が流れる事態を回避しようとして、逆に大量の血が流されてしまった。その責任が、彼にないといえるだろうか。政治の世界において、無防備の善良さは破滅を招くことになる」。

「どれほどルイが人民を慈しみ、みずからの栄光よりも人民の幸福な生活のことを彼が気にかけていたということはみんなが知っている。貧しき者や恵まれない者たちとともにあろうとした彼。つねに臣民たちから愛されることを望み、彼らの鼓動をみずからの鼓動と合わせて胸で感じ取ろうとしていた彼。しかし、彼には、群衆を感じとる本能のようなものが欠けていた。群衆を魅了し、語りかけ、説得する能力はなかったし、世論の動きを把握することもできなかった。みずからの意見をちゃんと伝える能力をもっていたら、彼は進んでデマゴーグとなっていたであろう。しかし、そのような能力を持ち合わせていなかった」。

失策、不運に見舞われ、断頭台で生涯を閉じたルイ十六世は、確かに多くの弱点を有していたが、流布されているイメージとは異なる人物だったこと、平等を目指した革命家だったことが最新の研究で明らかになっていると、著者は主張しているのです。