『はじめての橋本治論』の全ページに充満する著者の橋本治愛に圧倒されてしまいました・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3375)】
ジャノメチョウ(写真1~3)をカメラに収めました。シマトネリコ(写真4)、フウリンソウ(学名:カンパニュラ・メディウム。写真5~10)、ヘメロカリス(写真11、12)が咲いています。
閑話休題、橋本治のエッセイが好みの私は、橋本治の小説の熱烈な崇拝者である千木良悠子の『はじめての橋本治論』(千木良悠子著、河出書房新社)の全ページに充満する橋本治愛に圧倒されてしまいました。
●私は、橋本治は日本現代文学史上の最重要作家だとつい言いたくなってしまう。
●文学者かどうかはさておき、私はやっぱり橋本治を、評論家でもエッセイストでもイラストレーターでも編み物作家でもなく、小説家だと思っている。
●橋本治曰く、その結果近代文学の行き着く先は「一人称による薄っぺらな苦悶の反映」になった。そうでないものは「通俗小説」の枠に入れられた。
●橋本治は(山田風太郎の)『戦中派不戦日記』を心から愛していたようだ。・・・橋本治は書く。「それは、自分の愛したものの正体がただただ愚かなものでしかなかったという、くやしさである。終戦以後をこれだけ率直なくやしさで貫いたものを、私はあまり知らない。それは勿論軍国主義者の開き直りではなく、愛してしまったものがその瞬間に裏切られていたことも知ってしまったそのくやしさだ」。
●九〇年代に「若者の活字離れ」が叫ばれた時、出版文化は本来課せられていた啓蒙という義務を怠るべきではなかったのに事態を容認して見過ごした。その責任は想像を絶して重い。硬直してしまった言葉を権力の鎧から解き放ち、言葉に再び人を啓蒙し得る力を与えることが必要だ。『浮上せよと活字は言う』は、話し言葉小説『桃尻娘』や少女マンガ論『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』でそのキャリアをスタートさせた橋本治の、改めての態度表明とも読めるような名著である。
●(『リア家の人々』は)『草薙の剣』や『巡礼』、下敷きになっていると思われる黒澤明「乱」、北杜夫『楡家の人びと』、久生十蘭『我が家の楽園』を踏まえるに、これも文三という父を中心とした「家」の崩壊の物語なのだろう。「家」は崩壊しかけた国家の象徴でもある。
●橋本治は、十八世紀の人形浄瑠璃のドラマを「日本の近代小説の祖」であり、「近代の日本人のメンタリティを作った」とまで言っている。
●現代人は近代の小説と言われると、つい西洋文学からの影響ばかり頭に思い描いてしまうが、江戸や明治、もっと遡って中世や古代の語りの芸能の歴史は、おそらく私たちが思っている以上に、近代以降の日本の小説全般に絶大な影響を及ぼしているはずだ。橋本治の小説や戯曲は、その歴史を受け継いだものと見なすことができる。
●この混迷真っ只中の二十一世紀日本に、プテラノドンが日光杉並木に巣を作って飛ぶディストピアじゃないマシな未来を築けるのか。「時代」とのボロボロの負け戦によって、すっかり「死んだ世の中」になってしまった私たちの住処を、愛や心の流れる「生きた世の中」に変えていけるのか。道のりは遠そうだけど、橋本治はよく「自分は三島由紀夫やなんかと違って、読者を信じている作家だ」と書いていたから読者も責任重大である。しかもよくよく読むとどの作品も、「絶対に大丈夫だから」ということしか言っていない・・・。呆れるほど前向きな人なのだ。