鎌倉幕府の正史『吾妻鏡』は、「記録」というよりも「物語」だ・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3473)】
秋晴れの一日、東京・杉並の高円寺を巡る散歩会に参加しました。立法寺(写真1~5)、東雲寺(写真6~8)、寶福寺(写真9、10)、多田神社(写真11)、東円寺(写真12)、高円寺天祖神社(写真13)、和田帝釈天(写真14)、善福寺川と神田川の合流地点(写真16、手前が善福寺川)を巡りました。散歩中のシバイヌ(写真17)たちに出会いました。因みに、本日の歩数は19,167でした。
閑話休題、『吾妻鏡――鎌倉幕府「正史」の虚実』(藪本勝治著、中公新書)では、最新の研究成果を踏まえて、鎌倉幕府の正史として影響力を及ぼしてきた『吾妻鏡』の隠された制作意図が明らかにされています。
●源頼朝が以仁王の命により平家追討の挙兵をしたというのは虚構である。事実は、平清盛に幽閉されていた後白河院の密命であった。
●富士川合戦勝利の主役を頼朝とするのは虚構である。事実は、独立的に軍事行動を起こした甲斐源氏(武田信義、安田義定)の働きによって既に大勢が決しており、頼朝はこの戦いに参加していなかった。
●屋島・壇の浦合戦勝利が、頼朝の指揮のもと、頼朝の代官・源義経の強行突破的な軍事行動の帰結とされているのは虚構である。実際の屋島攻略は、義経は出陣1カ月前から兵糧を集積しながら、淀川河口の渡辺党、紀伊の熊野水軍、阿波の在庁官人、伊予の河野氏の水軍などを周到に組織するとともに、四国の反平家勢力と連絡を取って入念に準備していた。すなわち、合戦が始まった時には根回しが完了しており、既に結果は決まっていたのである。壇の浦合戦勝利も、瀬戸内海の制海権を奪い、陸では源範頼軍が平家の本拠地彦島を包囲するという、地味ながら着実な事前工作の成果であった。
●頼朝と義経の兄弟対立の原因を、義経が自分勝手に振る舞って頼朝の怒りを買ったとしているのは虚構である。『吾妻鏡』は、北条時政が娘・北条政子の産んだ源頼家のライヴァルとなりかねない義経を悪役化して、義経排斥の必然性を強調しているのである。
●比企氏の乱勝利を悪王・頼家の退場と逆臣の排斥としているのは虚構である。事実は、頼家は論理的かつ公平に訴訟を裁許していた跡が窺えるなど、有能で意欲的な政治家であった。頼家の所業に苦言を呈したとする、頼家より1歳年下の北条泰時を際立たせるためである。
●源実朝暗殺による源氏将軍断絶と北条氏得宗家の繁栄は神意だとするのは虚構である。『吾妻鏡』は、それこそ、さまざまな方法を用いて、悪王化した実朝の死を受けた、得宗家への権力の継承を必然化しているのである。
●承久の乱勝利を神仏に庇護された英雄・泰時の功績とするのは虚構である。『吾妻鏡』は、頼朝以来の統治者の正統を、政子を介して得宗家の泰時が継いでいくという過程の必然性を構築し、正当化しているのである。
実証的で説得力のある、歴史好きには堪えられない一冊です。