吉良上野介義央が高家という特別な地位を保っていた理由・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2837)】
カワラヒワ(写真1~4)が群れています。ホオジロ(写真5)、ツグミ(写真6、7)、モズの雄(写真8、9)をカメラに収めました。ハリスホーク(モモアカノスリ。写真10)を連れている人に出会いました。実物を見るのは初めてです。セイヨウアブラナ(ナノハナ。写真11、12)がもう咲いています。因みに、本日の歩数は12,465でした。
閑話休題、赤穂四十七士に殺された吉良上野介義央が高家という特別な地位を保っていたこと、彼の長男・綱憲が名門・上杉氏の家督を継いだことから、吉良氏とはどういう一族なのか興味を抱いてきました。
今回、手にした『足利将軍と御三家――吉良・石橋・渋川氏』(谷口雄太著、吉川弘文館・歴史文化ライブラリー)のおかげで、これらの疑問が氷解しました。
本書では、室町時代の足利御三家――吉良氏・石橋氏・渋川氏――が取り上げられています。
「室町幕府の研究には、政治権力体系からではなく、儀礼権威体系からのアプローチも存在する。すなわち、実力ではなく、血統など将軍が設けた家格秩序・身分秩序の分析を通した、幕府支配の解明である。・・・このような儀礼権威体系から眺めると、吉良氏(御三家)は驚くべきことに、管領家と同等以上の地位にあった。彼らは弱小勢力どころか、室町時代の超名門家だったのである」。
「吉良氏・石橋氏・渋川氏のみの共通点とは、すなわち、(後に室町幕府の将軍となった)足利氏の『兄』の流れを汲み、鎌倉時代、『足利』名字を名乗った、足利氏の庶子家たち、ということになる」。
『今川記』に「室町殿(足利)の御子孫た(絶)へなば吉良につ(継)がせ、吉良もた(絶)へば今川につ(継)がせよ」と記されていることは、よく知られています。今川氏は吉良氏から分かれた一族だったからです。
「これまで江戸時代、徳川将軍家の地位を継承することができた徳川御三家のようなものではないかと見通されながらも、具体的にはよく分からないと断じられ続けてきた吉良氏(足利御三家)のその役割・意義とは、すなわち、足利氏がいなくなった(一旦緩急あった)場合に、その立場を後継することにあったと考えられるのである。まさしく、徳川御三家のような存在といえるだろう」。