「奇想の系譜」で知られる辻惟雄が、「奇想」そっちのけで「正統の系譜」を展開するとは・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3479)】
千葉・柏の「あけぼの山農業公園」は、コスモス(写真1~4)が見頃を迎えています。撮影助手(女房)がスマホでアゲハチョウ(写真3)を撮影しました。撮影助手に「一番好きな花は?」と聞いたら、「コスモス」という答えが返ってきました。「あなたの一番好きな花は?」と聞かれたので、「君!」と答えました。チョウマメ(写真8、9)が花と実を付けています。ニホンアマガエル(写真10~13。緑色のと褐色のとは別個体)をカメラに収めました。
閑話休題、『奇想の系譜――又兵衛~国芳』は、54年前に刊行された書物であるが、未だに輝きを失っていません。長らく下手物扱いされてきた岩佐又兵衛、伊東若冲、曽我蕭白、長沢芦雪、歌川国芳といった江戸期の表現主義的傾向の画家たちを、奇矯(エキセントリック)で幻想的(ファンタスティック)な「奇想の画家」と位置づけた記念碑的著作だからです。
ところが、その辻惟雄が、今回、聞き手を相手に縦横に語っている『最後に、絵を語る。――奇想の美術史家の特別講義』(辻惟雄著、集英社)では、「奇想の系譜」ではなく、「正統の系譜」が取り上げられているではありませんか。
注目すべきは、「大胆・無邪気な剽窃者、俵屋宗達」、「すわ画系断絶? 生き残りをかけた『三面作戦』」、「巨匠と呼べる応挙、巨匠とは呼べない若冲・蕭白」、「永徳に雪舟。正統派の中にも『奇想』あり」――を論じた件(くだり)です。このうち、「すわ画系断絶? 生き残りをかけた『三面作戦』」は、少々、説明が必要でしょう。豊臣から徳川に政権が移る時期に存続の危機を迎えた狩野派は、徳川家には狩野長信、朝廷には狩野孝信、豊臣家には狩野山楽と狩野内膳を担当者として充てるという、強かな三面作戦を展開したのです。
個人的に、とりわけ興味深いのは、神護寺の「伝源頼朝像」を巡る辻の言い分です。米倉迪夫のこれは頼朝像ではなく足利直義像だという説を認めず、「様々な絵を見てきた私個人の感覚では、この絵は13世紀を下るものではありません」と、あくまで頼朝像だと言い張っています。巻末の弟子・山下裕二との対談で、「今や14世紀の作とする米倉迪夫さんの説が優勢だと思います」と山下に詰め寄られても、辻は考えを変えようとしません。「頑固な美術史家」と呼ぶべきかもしれませんね。