金井美恵子ワールド全開の『彼女(たち)について私の知っている二、三の事柄』・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3495)】
庭いじりをしていた我が家の庭師(女房)の服にくっついてきたキマダラカメムシ、その出っ張った目で新聞を読みたいのだろうか(写真1)。盆栽に向き合うと、心が穏やかになります(写真2~13)。
閑話休題、ネット読書会「読書の森」で、金井美恵子の『カストロの尻』と『愛の生活』について、気を取り直して、私なりの書評を書こうと努めたが、どうしても書けませんでした、どうも、この作家とは相性がよくないようですと書いたところ、メンバーの高橋裕幸氏から、個人的には、金井美恵子さんは存命している日本の作家の中で一番好きです、「目白4部作」などは比較的読みやすいですよというコメントが寄せられました。高橋氏のアドヴァイスに従い、「目白4部作」の『小春日和(インディアン・サマー)』(金井美恵子著、河出文庫)を手にし、読み始めてすぐに、私の大好きな庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』を始めとする「庄司薫」4部作との共通点に気づき、ぐんぐん引き込まれてしまいました、そして、金井が私と同世代ということもあって、物語の環境というか風俗や雰囲気が馴染み深いものばかりなのです。
『小春日和』では、19歳の私立の女子大生の桃子は、小説家の叔母宅に居候することになり、同級生の花子という親友ができ、この3人の日常生活がユーモラスに、あるいは辛口で描かれています。桃子と花子と桃子の叔母の小説家の10年後が描かれる『彼女(たち)について私の知っている二、三の事柄』(金井美恵子著、朝日新聞出版)は、もう金井ワールド全開で、桃子、花子、叔母の会話が入り乱れて、これは誰の台詞なのか分からなくなって数行読み返して漸く分かるという縦横無尽というか自由闊達というか話がぐんぐん横道に逸れていき脱線だらけで誰が何の話をしていたのか曖昧模糊となるというかそういう他の作家の作品では滅多に出会えない調子で彼らの日常生活が展開されていくのだが、これが何とも気分がよく、陽光を浴びながらのんびり湯船に浸かっているような心地よさなのだから、私も金井ワールドに完全に取り込まれてしまったようです。『彼女(たち)について私の知っている二、三の事柄』という風変わりな書名は、ゴダールの1966年の映画『彼女について私が知っている二、三の事柄』の影響を受けているようです。
あなたの書評は引用が多過ぎると女房から言われるので引用を控えるように心がけているのだが、<「新潮」で解剖学者や人類学者が、下手な文章でボケたような「文芸時評」を書いても、誰も文句を言わないわけよ、小説家が頭が悪いと思って馬鹿にしてるのよ、小説家の頭の悪いのは、まあ事実だけど、小説のシロートが書くのは感想文であって批評じゃあないんだから、「新潮」という雑誌は小説を舐めてるのよ、舐められても当然な小説ばっかりなのは、まあ、確かだけど、と、まだビールさえ飲んでいないのにいき巻き、花子が、おばさん、と、姪でもないくせにそう呼びかけて、そのことを書けばいいのに、久しぶりの批評、読みたいですよ、ねえ? と私に同意を求めると、おばさんはまた鼻を鳴らして、まあ、どうでもいいけどさ、と言った>とか<おまけに競争者(ライヴァル)は馬鹿ばかり、というのよ、わかる? 競争者は馬鹿ばかり、と一人でケラケラ御機嫌に笑い、そうなのだから、まあ、金鉱を掘りあてるのは無理だけど、あんたたちも小説でも書いてみたらどう? 批評は、これはまあ、それでもいいんだけど、やっぱり、深い教養と日々の勉強と根気と頭の良さが必要だから、だんぜん、小説のほうがラクチンだし、現役、新人問わず、競争者は馬鹿ばかりの分野だから、どう?>を引くのは、本書の口調を知ってもらうためだから許されるのではないでしょうか。
以上、金井の文章を真似てみたが、熱烈な金井ファンから怒られそうですね。