向田邦子が育ったのは、つつましい庶民家庭ではなく、昭和10年代の恵まれた新興家庭だった・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3506)】
この辺りでは、なかなか出会えないトモエガモの雄(写真1~5)を幸運にも撮影することができました。トモエガモは、手前のオカヨシガモの雄と比べると一回り小さいことが分かります(写真5)。オナガ(写真6)、カワセミの雌(写真7)をカメラに収めました。キダチダリア(別名:コウテイダリア。写真8~11)が咲いています。モミジバフウ(写真12)が紅葉、イチョウ(写真13、14)が黄葉しています。因みに、本日の歩数は11,328でした。
閑話休題、ネット読書会「読書の森」での向田邦子の『父の詫び状』に対する私の書評に、メンバーの野澤隆一氏から「私も常々向田邦子が描いた家族は『平凡な家庭』と受け止めていたのですが、高島俊男の『メルヘン誕生』では、日本における家族の成立時期を踏まえて、向田家の実像を浮かび上がらせています」とのコメントが寄せられました。
俄然、興味が湧き、『メルヘン誕生――向田邦子をさがして』(高島俊男著、いそっぷ社)を手にしました。
本書は、向田作品を丁寧に読み込むだけでなく、各作品の発表過程にまで目を配った、奥行きの深い向田邦子論です。
高島俊男の主張を、私なりにまとめてみましょう。
●向田は、怜悧、敏感で、男的な要素が強い。向田は、男が好きで男になろうとした女である。しかし、一世代前の女の甘えをのこしていた。才能にめぐまれていたために、自分の甘えに気づかなかった。
●向田は、読者がそれを要求している以上、昭和10年代の家族の物語をメルヘンとして書かねばならなかった。なつかしい昭和10年代の生活――これが、こわすことのできないメルヘンのわくぐみである。
●向田家は、あるじはしっかりした会社につとめ、安定した収入がある。この収入によって他の家族が生活している。あるじに異変のないかぎり、ゆるぎのない家族である。向田が育ったのは、決して日本の古いタイプの家などではなく、尖端的な新興家庭であり、その父親は新しいタイプの一家のあるじなのである。『父の詫び状』は、宝ものであるこどもたちの周囲をふた親があたたかくかつ堅固に守って、日々をはこんでゆく昭和新興家庭の物語なのである。
●向田は非常に記憶力のいい人であるから、自分がこどものころの家のなかの、モノやコトについては実によくおぼえており、また的確にえがき出している。しかし、その背景となる当時の日本の社会や、その社会のなかでの自分の家の位置づけについては知らなかった。こどものころに知らないのは当然だが、おとなになっても知らなかった。だから、自分の家を、ごくふつうの庶民家庭だったのだと思っている。その庶民の一家族が、肩よせあって生活しているつつましい家庭として、自分の家族をえがき出したのである。だから、読者も、自分たちと同じレベルの家庭と思って共感した。そこに、向田の誤解と読書の誤解との、幸福なひびきあいがうまれたのである。
●向田は、「自分には才能がある」と思っていた。平凡な家庭主婦になるのは宝のもちぐされである。どこかに自分の才能を発揮する場があるはずだ――この考えが一貫して彼女のなかにあった。だから岐路に立って懊悩したのである。
●向田は「学校では先頭だったのに人生ではおくれをとった者」の敗北感をいだいて生きた、数万、数十万の「もと秀才」たちの一人であり、それを書いた代表選手なのでもあった。
●見るからに聡明でなにごとにもテキパキしている。しかし男から見るとすべてお見通しで、魅力にとぼしい。向田は、自分をそういう女だと思っているらしい。自分は、テレビ作家としては勝ったけれども、女としては負けた。知識や教養で勝負できると思ったのがまちがいだった。
●向田に、ふりはらってもふりはらってもまとわりつづけた悔恨とは何だったのか。彼女の書いたものを読むかぎり、それは、結婚しなかったこと、家庭を持たなかったことである。
本書が優れた向田邦子論であることは間違いないが、結婚できなかった向田は敗北者であったという主張には首肯できません。『メルヘン誕生』出版から5年後の2005年に、向田の妹の向田和子が『向田邦子の恋文』で向田の熱烈な秘密の恋を明かしていることを、私たちは知っているからです。向田が結婚という形式にこだわっていないことは明白です。しかし、これは後出しじゃんけんのようなもので、高島に対してフェアとは言えませんね。